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2009年5月31日 (日)

僕とうつ病、闘病記 先生を嫌い、先生を頼る、先生に何かを望むんじゃない、やるだけだ

病院に行ってきた。
「頭の中が「死ね」という声でいっぱいになります」と伝えた。
薬を変えてみようという事になった。
また変わるのかと思ったけど、それで声が聞こえなくなれば良いんだし、プラスに考える事にする。
「薬を絶ってゼロにしたい。 病気が治ったと証明書を書いて欲しい。」と言っておき、「無理だ」と言われるとヤブ医者なんじゃねーかと思った。
「病院を変えてやる」とも思ったが、薬が無くなり体調が悪くなり、結局助けてくれと病院に来るしかなかった。
「死ね」という声が聞こえる事を話せば、薬が変わり、僕の病気の深刻さが増す。
自分の理想と真逆に話が進むと分かっていたが、自分の力では”声”を消す事ができない。
正直に話しをするしかなかった。

前回ココに来たとき、「脳が萎縮し8割になっている。それは治らない」と言われた。
それは事実だし、どうすることもできないから、諦めるしかないと思う。
その話に自分は納得している。
しかし、働き始めたら人ができる事が自分にはできないと気付くだろうという話は疑問の余地がある。
先生の話は、死んだ脳細胞が戻らないのと同じ高さの話で、絶対なんだろうか? それとも統計的な話なのか?
「前例が無いだけで、できる可能性はある」と言ってほしい。
希望が欲しい、望みを繋げたい、生きるための力がほしい。
診察室に入るまで、先生を責め立てるつもりだった。
何ができて、何がだめで、その可能性、現実、全部話してもらうつもりだった。
でも結局やめた。
穏やかに、静かに、病状を口にした。
いつ自殺するか分からないようなやつに「生きる為に希望が欲しい」と言われたら、先生は困るだけだ。
その場しのぎの薄っぺらな言葉なんて必要ない。
先生がなんと言おうと、自分はチャレンジするしかない。
努力すればするだけ、現実が分かった時の挫折も大きい。
ダメだった時は死のうと考える自分もいる。
いずれにしても、先生を責めても何も変わらないのだ。
やるだけやる それだけだ。

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僕 と うつ病、 闘病記」カテゴリの記事

コメント

病院に「行く」(向かう)のもダルーと思ってしまうこのごろ。


脳が萎縮とはビックリしたよ。
それは薬の副作用とかでなるの?


まだまだ長い人生だから生き急がないで実行していこうよ。
でも何らかのカタチからでも徐々に「青年~」参加できるよう情報収集は継続でいいよね。


薬ではなく、病気で萎縮するみたいだね。
昔だったらこんなこと簡単に出来たのに って事が出来ないから、先生に言われる前から、元には戻れないだろうとは感じてた。

脳が8割になるのって、何歳くらいの話なんだろうね。
50代くらいかな?60だったりして。
「元々キレ者だった爺さんが8割になったとしても、凡人には負けません」って言えればいいんだけど、そんなわけないのよ。
何で出来ないのかが自分でも分からない。
でも出来ないのは現実なわけで・・・・

読み書きが出来なくなるわけでもなし、こうして普通っぽくブログで毒を吐いたりできるわけで、8割でもやっていけるかなぁと楽観視してるよ。

これから色々と無理な事が分かってきて、落ち込んだりするんだろうけどさ。
とりあえずは、前進あるのみだね。

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