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2010年11月の25件の記事

2010年11月28日 (日)

僕と うつ病、闘病記 戒名と病院

弟の戒名がファックスされてきました。
それを見ても弟の名前だとは思えない。
これを元に、位牌を作りに行ってこないといけません。
戒名ってなんなんでしょうね?
いきなりそんな名前を付けられても、弟には31年間呼び続けてきた名前があるで、そんな名前要らないと思ってしまうけど、必要なんだろうからしょうがない。

僕が死んだら、戒名なんてつけないでほしいけど、それは無理な事なのかな?

戒名を見てると、弟の名前じゃないような気もするし、弟の死を突きつけられているような気もしてきて辛いです。

それと、そろそろ病院に行く時期です。
前回病院に行き、弟が家にいるからプレッシャーになっていると先生に話した3日後に弟は亡くなりました。
その事を報告しないといけないし、それで苦しんでる事も話してくるつもりです。
おそらくそれの影響で、薬が重くなると思いますが、この時期、このタイミングでガクンと落ちる事があると、どうなってしまうのか自分でも分からないので、それが怖い。
どんな薬を処方されようとも、今回は拒絶しないようにして素直に飲もうと思います。
今回も病院に行くのが辛いなぁ・・・・
行きたくない。

2010年11月25日 (木)

僕と うつ病、闘病記 弟はうつ病だったのだろうか?

弟は自分から命を絶ってしまったわけですが、うつ病だったのでしょうか?
遺書の内容は投げやりになっていたり、錯乱していたり、走り書きのようにはなってなく、誤字一つ無く、まっすぐに字が書かれ、むしろ気持ちが穏やかでなければ書けないだろうというような印象がある。

一緒に暮らした最後の2週間も、明るくふるまい、活動的だった。

もちろん無理して明るくしていたのだろうし、最後だから という想いが身体を突き動かしていたのだろうけど、同じ事が僕にできるだろうか?と考えてみたら、無理なのである。

僕も死のうとした事は何度もあるし、実際に行動に出てしまった事もあったけど、そういう時はもう思考が麻痺してしまって、楽になりたい一心で何も考えられない。
そういう状態で、あれだけの遺書を書き、明るく振舞えるのだろうか? 僕には無理だ。
弟は、命を絶って、人生を終わりにするというよりは、前進するための一歩だったような、印象が残る。

ただ、もし長いこと弟がうつ病だったとしたら、兄の僕は自分が情けなくて、謝りきれない。
僕がうつ病になったと宣言してしまったばっかりに、弟は自分もと言えなくなってしまったとしたら。
東京で10年もの一人で暮らしは、どれだけ寂しかったか。
病気で身体が重くても、働かないといけないし、泣き言は誰にも言えないし。
本当に可哀想な事をしてしまった。
どれだけ孤独で苦しかったか。
どうして一言「兄貴、俺も辛いんだよ」って言ってくれなったのか。
僕になら、言えただろう?
僕になら、弱い所見せられただろう?
どうして?
病気の苦しさを一番分かっているのは僕なので、少しでも弟の苦しさ、無念さ、後悔、申し訳なさ、を理解してやろうと思う。

僕は後悔して自分を責めてばかりですが、自分の苦しさを理解してもらって、弟は喜んでいるのだろうか?
自分を責めないで、笑って生きてほしいと言っているのでしょうか?
自分勝手な行動をとってしまったけど、と向こうも謝っているのでしょうか?

弟の前に行って、何を聞いても、沈黙しか返ってこなく、線香の匂いがするだけ。
答えは一生出ないんだ。
沈黙によって思い知らされれる。

2010年11月23日 (火)

僕と うつ病、闘病記 いくら拒絶したとしても

母は弟の骨壷を見ると、弟の最後の数時間、何を考えていたのか? 寒かったろう、苦しかったろう、悲しかったろう と考えてしまって 怖くなると話している。
その母が、今日は骨壷を抱きたいと言い出した。
49日の日に納骨するので、それ以後はもう抱きしめる事もできなくなる、という僕の話を聞いて考えが少し変わってきたようだ。
正座し、脚の上に骨壷を置き、抱きしめた母は泣いていたが、どこか吹っ切れたような顔にも見えた。
蓋を開けてみようか?と言い出し、それはやらないほうが という前に母は蓋を開けていた。
火葬場で集骨した時は数メートルの距離から見ていたが、目の前にある弟の頭蓋骨は生生しかった。
しかし、それが弟の骨だと思えない。
何かの骨、何かの灰だとは分かるが、弟の今の姿だとは認められないのだ。
死んだと分かっているから、日中泣いたりするし、家族がボロボロになっているのも分かるが、写真の整理をしても、ドアが開きっぱなしになった弟の部屋をみても、どこか実感が無い。

またひょこり帰ってきてくれるような気がするし、またヨロイヅカのスイーツの話をメールしてくるような気がする。

今度の正月になって、弟が帰ってくることは2度と無く、おめでとうございますの挨拶もできない事で、やっとその頃になって実感するのかもしれません。

49日が終わるまでは、仏さんはこの辺りにまだいるって言うから、きっとこうしてブログを書いている様子も見ているんだと思うけど、49日が終わったら、いよいよ離れ離れなんだなと思う。
東京と茨城という離れ方ではなく、この世とあの世の壁はどうにもなりません。
もう声を聞くことも触れる事もできなくなる。

それはこれまで感じた事の無い感情で、寂しいような悲しいような、永遠の別れを覚悟するような、罪悪感を感じたり、後悔したり、色々な感情が混ざったような状態になっています。

僕が弟の死をいくら受け入れなくても、拒絶しても、時間はどんどん過ぎていき、嫌でも現実を突きつけられる。
苦しいです。

2010年11月21日 (日)

僕と うつ病、闘病記 忙しい事で救われる部分と罪悪感

49日法要と納骨の段取りをしてきました。
弟がいなくなってから、バタバタと日にちだけが過ぎ、弟の事を考えているような、忙しくて時間だけが過ぎているような、半々の感覚です。
弟の事を考えている時は、後悔や罪悪感ばかりになりますが、忙しいとそれを忘れる事ができる。
それは、救われている部分もあるけど、弟の事を考えてあげられない事が、罪悪感となっています。
いまだに弟が亡くなった事は信じられないというか、受け入れられないのですが、このまま悲しみも薄れていってしまうのでしょうか?
それも罪悪感を感じます。

無理して明るくふるまってる部分はありますが、ふっと気分が落ち込んで、泣いたりもしています。
自慢の弟がいなくなってしまったという事実は、これから嫌というほど思い知るのだと思います。

弟は今は楽になって、あちこち飛び回っていいるのかもしれませんが、遺族は十字架を背負わないといけないのでしょうか?
弟は苦しみから解放されて、笑っているのでしょうか?
残された家族がこれほどまでに苦しんでいる事をどう見ているのだろうか?
少しは申し訳ないと思っているのだろうか?
答えは一生出ない。

2010年11月19日 (金)

僕と うつ病、闘病記 弟の写真の整理が堪える

弟はとてもお洒落で、着る物や、料理に使う道具、食器などにかなりこだわりがある人でした。
そんな弟がお年寄りがまつられるような仏壇に飾られるのは、嫌がるだろうとは簡単に想像がつく。
そこで、コルクボードを買ってきて、そこに弟の写真を沢山貼り付ける事を提案した。
花もスーパーのちょっとした一角で売ってる仏花じゃなく、野に咲いているような自然な花を洋風の花瓶に入れて飾ろうという事になってます。
お洒落なカフェにある一角のようなイメージの弟だけのスペースを作ろうと思います。

線香は欠かせないから、そこだけ和風になっちゃうのはしょうがないんだけど、お鈴(オリン?)の座布団は手作りにしました。
緑やら赤やらのコテコテの花座布団じゃ、絶対に怒られるので。
Pちゃんと、トモ子珍と僕の3人で、布を切ったり縫ったり、綿を入れたりして共同作業をしました。
これなら弟も満足してくれるだろうという物ができました。

後は写真なんだけど、生まれてから亡くなるまでの膨大な写真をすべてチェックして、どれをプリントアウトするか決めないといけない作業が残っている。
これが大変でして、情けないんだけど、集中力が続かず、身体が重くなってきて、プラス弟の写真を見るのが辛くて、泣きながら作業している。

あまりのんびり作業するわけにもいかないので、無理してやってるけど、この作業は堪えるなぁ・・・・
可愛い弟の為と思って起き上がっては作業をし、ちょっとしんどいと横になって休憩を繰り返しています。

笑ってる弟の写真が多くて救われるような気もするし、もっと生きて笑顔を見せて欲しかったというような気もします。

2010年11月17日 (水)

僕と うつ病、闘病記 ごめんね

夕方になると気分が不安定になり、悲しくなります。
暗くなって寒くなってきて、弟はこの寒い中、死亡推定時刻までの数時間、何を考えていたのだろうか?
これまでの人生を振り返り、家族に申し訳なく思い・・・
遺書が夕方に見つかったなら、ひょっとしたら助けに来てくれるのではないか? そんな最後の希望を持っていたとしたら・・・・
必死で探したけど、見つけられなかった。
ごめんね。
苦しかったよね?
辛かったよね?
寒かったよね?
寂しかったよね?
ごめんね。
何もしてやれなかった。

2010年11月15日 (月)

僕と うつ病、闘病記 初七日が終わりました

弟の初七日が終わりました。
母が部屋で遺書を見つけた時の悲鳴のような声と、検死室での消毒の臭い、 火葬場で、いよいよ火葬されるときにドアが閉まる瞬間の母の鳴き声が頭か ら離れません。

骨になってしまった弟を見ても、死んでしまって、もう会うことも話すこと もできなくなった事が、まだ信じられません。
また東京に帰って、そのうちひょっこり帰ってくるだけのような気がします 。

明日から両親は仕事に復帰し、日中弟の遺骨と2人きりになるのですが、自分を責めるんだと思います。

弟は楽になり、解放され、やっと自由になれたとは思うけど、同時に、もっ と何かできたはずだと考えずにはいられません。
もし、自殺を止める事ができたとしても、それは弟にとっては地獄が長引く だけ。だから死んでしまった事は許してやりたいし、弟の意思は尊重してやりたい けど、それとは別に自分を責めてしまう。

弟が庭を歩く音が忘れられません。あの時、弟に声をかけていれば・・・助けられたのに・・・・
部屋に逃げないで、弟と一緒に夕食をつくり、食器洗いをするべきだった。
もっと話をするべきだった。
こんな事になるなんて・・・
弟を邪魔者のように考えてしまった僕は、最低の兄貴です。

2010年11月11日 (木)

僕と うつ病、闘病記 弟を救えませんでした

結局、弟を救う事はできませんでした。
必死に可能性のありそうな場所を夜中まで探し、翌朝も早朝から探したけど、家族では見つけてやれませんでした。

遺体が見つかり、検死室に入った時、家族3人で人目もはばからず大声で泣きました。
とにかく目の前に弟がいるのに、死んでしまった現実が受け入れられませんでした。

悲しくて、苦しくて、身体の震えが止まらなくて、食事も喉を通らないしで、2日で3kgやせました。
涙もこんなに出るのかというほど泣き、頭痛が治まりませんでした。
この辛さに比べたら、鬱病の苦しみなど取るに足らないくらに辛かった。

もうこんな気持ちには誰もさせたくないので、僕は絶対に自殺はしません。
もうしようとも思いません。
強くなって、性格も変えようと決めました。
いまより明るくして、口数を増やそうと決めました。
言いたい事はいうようにして、なんでも知り合ってる家族になろうと思う。
溜め込む、背負い込むは良くないと弟が自分の命を使って教えてくれた事だから・・・・

弟の分も生きようと思います。
楽しい事をいっぱいやって、僕が元気にやっていく事が、弟の成仏に繋がると思うので。

何か趣味でも見つけるなり、サーフィンをまた始めるなりして、外にも出ようと決めました。

ブログはまだ、楽しい話ができるほど、いきなりはスイッチを変えられないので、更新はもうしばらく不定期で更新したいと思います。

弟の無事を祈ってくれた人たちに感謝しています。
ありがとうございました。

2010年11月 9日 (火)

僕と うつ病、闘病記 弟が遺書を残して失踪した

弟が遺書を残して消えました。
遺書には色々書かれていましたが、昔から死のうとしていた事などが書かれていました。

家族で近くの土手などを懐中電灯を持って探したのですが、見つかりません。
パソコンの履歴を調べても何かを調べた痕跡は見つかりませんでした。

警察には届け出てきましたが、警察は遺体が見つかった時の照合、身元確認をしてくれるだけなので、探してはくれません。

明日、朝になったら、もう一度近場を探してみようと思います。

弟を邪魔者扱いするような考えを持っていた自分を責めていますが、もう取り返しが付きません。
せめて遺体の第一発見者は身内で見つけてやろうという話をして、自室に戻りました。

兄弟で一番元気で、明るく、完璧だった弟。
その弟も、自分と同じように死ぬ事を考えて生きてきた事もショックでした。

母は兄弟が皆死ぬ事を考えるような性格に育ててしまった自分を責めています。
とにかく僕にだけは自殺しないでくれと泣きつかれました。
今は自分が死にたいという考えは無く、なんとか弟に無事であってほしい事と、もう亡くなっているなら、早く見つけてやりたい気持ちだけです。

徒歩で所持金を持たずにいなくなっているので、近場にいるのかもしれません。
とにかく明日必死になって探してやろうと思います。

ブログの更新はしばらくお休みさせていただきます。
僕の事は心配いらないので、弟の無事を祈ってやってください。

2010年11月 8日 (月)

3時間で4回ユニクロに行く、その恐怖のバイタリティー

ユニクロに3時間で4回回った。
同じ店ではない。
3店舗回り、最後に最初の店に戻って4回。
洋服キチガイ(誉め言葉ですw)の友人がいて、それに連れまわされた という表現が正しい。
イヤ、友人の名誉の為に説明すると、洋服の事を聞きだしたのは僕の方だし、この友人に洋服の事を聞けば間違いは無い、そして、洋服の好みの感覚も似ている。
だから頼りにしているし、ついつい甘えたくもなるのだが、まさか4回もユニクロに行くとは思っても無かったので、正直、身体が硬直した。

僕は劣等感の塊だし、服のセンスがあるとは思ってないので、洋服屋は大の苦手。
できる事なら行きたくないし、自分からなかなか服を買いに行こうとは言わない。
それを、今回はノリで金を使いまくってやると言ってしまったものだから、洋服キチガイ(なんども言いますが誉め言葉ですw)の友人は火がついてしまった。
次々にコーディネートをしてくれるのだが、僕はオロオロするばかり。
イヤ、嬉しいし、ありがたいし、とても助かるんですよ。
でも、友人はテンションが高く、かなり盛り上がってる。
僕に似合う服を見つけたが、サイズが無いというので、隣町のユニクロに行こうと言い出す。
(この時点でまさか4回も行くとは思ってなかった)
次の店には同じ商品は1週間後に入荷すると言われた。
すると友人は、近場の別のユニクロに行くと言い出す。
もうこの辺りから思考が麻痺しだしまして、言われるがまま。
結局3店舗目でもその洋服は置いてなく、最初の店に戻って、サイズがあるかどうかをスタッフに聞くことになった。

最初の店に戻り、サイズがあるか聞こうとしたのだが、様子がおかしい。
2時間ちょっと前に置いてあったお気に入りの服が跡形もなく無くなっている。
1品物が無いのではなく、全てのサイズ、他の色の物まで無くなっている。
4回もユニクロに行き、他の店舗と勘違いしているのか?
見ている場所が違うのか?
何度も確認したが、間違ってはいない。
この場所にあったはずなのに、2時間で、洋服が消えた。

友人はこのままでは引き下がれないと、スタッフを捕まえ、洋服をどこにやったか問いただす。
タクマシイ。
洋服屋では無敵だ、コイツ。
スタッフが別のスタッフを呼び、その2人も何処かへ消えて、確認を取っている。
しばらくしてスタッフが苦笑いで近づいてきた。
「あれは女性物でして・・・」とか言っていたような気がする。
確かに、男性物と女性物の境界線に置いてあった洋服だったが、まさか女性物だったとは、考えもしなかった。
だからサイズが何かオカシイと感じていたのか・・・・

同じユニクロでも置いてある商品が違う事も驚きだったが、2時間ちょっとで洋服が女性コーナーに移動されている事にも驚いた。
そういう移動とかって、開店前とか閉店後にやるものだと思っていたし、そんな短時間にガラリと場所が変わるなんて・・・・

因みに、4回ユニクロに行った間に、ライトオンにも寄りまして、3時間で5店舗の洋服屋を回りました。
いや、洋服キチガイ(クドイようですが誉め言葉)の友人に連れまわされたと言うべきか・・・・
都会だったら、歩いて隣の洋服屋にという感覚でしょうが、隣町の隣町に行くような、全て車での移動です・・・・
洋服に対する執念は尋常じゃない奴だとは思っていたが、、そのバイタリティー、あらためて思い知った。

洋服屋が怖い僕からすると、絶叫マシンやら、お化け屋敷やら、をエンドレスでやらされるような、緊張と緩和の繰り返しであり、とてもグッタリした。

しかし、洋服を選んでやる事に生きがいを感じる友人と、洋服屋が苦手な僕との奇妙な関係は続きそうである。
とても気に入った洋服が買え、ある程度は似合いそうである。
友人に感謝。

2010年11月 7日 (日)

僕と うつ病、闘病記 この人というものは(笑)

病院に行ってきました。
前回病院に行った時は、まもなく弟が帰ってくるので、比べられるのではないか?と不安だと話し、先生に「弟は他人」という名言をもらってきたのだった。
今回は、その弟が帰ってきてから2週間が経過し、今自分がどうなのかを話してきた。
前にも書きましたが、弟は全てが完璧で、僕に出来ない事を平然とやってのける。
参照:弟が帰ってきて・・・1週間が経過のリンクはコチラ
その話をより具体的に先生に話した。
特に弟が作った料理を食べる事が辛いし、片付けもせずに自室に戻る時が辛いという事と、日中隣の部屋に弟がいると思うだけで、居場所がなくなり、息が詰まるという事を重点的に話す。

先生の答えはシンプルだった。
「だって、できないんだからしょうながいじゃん」
力が抜けた。
精神科医らしからぬその言葉、その口調、その表情。
この人に話した自分が馬鹿だったというわけではない。
むしろ、この意見を自分は言ってほしかったのだという気持ちに自分でも初めて気付く。
確かにそうなのである、やろうと思っても、家事は手伝えないし、部屋にこもりっきりだし、どう頑張っても弟のようにはなれない。

こうも先生は言ってきた。
「出世払いでいいじゃん」「できるようになってかっら恩返しすれば」
またも力が抜けた。

こうも先生は言ってきた。
「弟とは別人。 生きるスピードも方法も違う。 比べる必要はないよ」

この過激発言で有名な先生が、ここまでカウンセリングっぽい事を言うのは、初めてかもしれない。
話をしていて、心が随分と軽くなった。

たしかに、無理な物は無理だし、それで苦しむ必要は無い。
今できる事を頑張るなり、治療に専念するしかないのだと、あらためて考える。

それにしても、話を聞きながら、ずっと爪きりで爪を磨いていた先生。
話は半分聞き流していたのかもしれない。
この人というものは・・・・ と軽~~~~~~くムっとなったのだが、それがまた、この人のゆるさを表しているし、真顔で「だって無理でしょ」と言われるよりはずっと救われたのだった。

だからこそネットで賛否分かれる批評が飛び交う先生なのだが、僕にはこの病院が合っているような気がする。
今回の先生には、随分と救われました。

僕が弟を気にもとめなければ、全てが上手くいくのだ。
やりたいようだから、やらせておけ くらいの考えにならないと、こっちの身がもたない。
もっと神経を図太くしないと と、理想だけは持っている。

薬は、「どうしようかなぁ~ 変えようかなぁ~」とブツブツ先生が言っていたが、変わる事なく3ヶ月連続で同じ。
朝:セルシン2mg、アキネトン1mg
夜:セルシン2mg、アキネトン1mg、ピーゼットシー4mg、セレネース3mg

「薬の作用も副作用も感じないんですけど・・・・」と伝えると、「効果は出てるよ。 表情が変わってきてる」と言われた。
今日はニコニコして話すような内容じゃなかったはずだが、精神科医には分かる違いでもあったのだろうか?
必死に辛さをアピールしようとしたから、目ヂカラはあったかもしれない。
そこを見逃さなかったか先生。

また、死なないように頑張ります。

自分はどう思われているか?自己分析してみた

親友にまさ爺は大学生くらいに見えると言われました。
お世辞です。
さすがに10以上サバはよめません。
でも若いって言われて嬉しかったりする。
お世辞だってのは分かっています・・・・w

ロンゲでチャラチャラした服を着て、豚犬を朝夕土手で散歩させている男。
近所の人はどう見ているんだろう。
まず、若い、若々しい、大学生、いつまでも変わらない などとは思ってなく、ず~~~と無職よね とか あのロンゲ似合ってると思ってるのかしら とか 最近太ったり痩せたりしている とか 連れている犬はオナラをしながら歩いてない? とかだろう。
全て正解である。
若い若くないではなく、もっとリアルな所で近所の人は見ていると思う。

家族は僕をどう見ているだろうか?
家族はロンゲになった事について、一度も口を開いた事は無い。
誰一人として。
似合ってるも、切れとも、耳くらい出せ とも言わない。
どう思っているのだろう?
服が派手になったのは、若々しくなって良いと好評です。
前はダサダサの服きてたので・・・・
コーディネーターの親友に感謝です。
でもまぁ、ロンゲは似合ってないと思っているんだろうな?

友人達は僕をどう見ているだろうか?
近所のオバサンたちにどう思われても構わないが、友人達にどう思われるか?はけっこう重要。
それこそ全てなのかもしれない。
まずファッション。
一番派手な色を着ているのが自分。
基本的にセンスが無いので、適当に着ているのだが、たぶん、その色の組み合わせはありえんだろう・・・とかは思われているはずである。
あとは、もうちょっと落ち着きのある服を着てもいい歳になりつつあるよね。とも思われているかもしれない。
若々しいと毒々しいとは違う と思われているような・・・・
話は聞き手に徹する仏のようなお爺ちゃんだし、流行の事にも疎い。
得意なジャンルの話題は、犬とXとJOJOだもん、だれもついてこれません。
変わり者だとは思われているだろう。
さて、最後にロンゲである事はどう思われているだろうか?
伸ばし始めて2年?今の長さになってから1年は経過しているが、似合ってるとは一度も言われた事が無い。
ファミレスで他のお客さんがいる中、三つ編みにされた事はあったな(笑)
参照:オサゲの男へのリンクはコチラ
こうした方がいいのにっていう理想を言われる事も無いし、どうしたもんか。

ま、人がどう見られるか?を気にして病気になったようなもんだし。
人がどう見てるか?はあまり気にしないようにしてるんだけど、今回はあえて、どう思われているかを書いてみた。

いつもニコニコしていて、服装はファンキーだが、髪型はヒッピー。
最近ちょっとヤツレタ。
そう思われている事だろう。

因みに、隣の家の息子さんは、北の将軍様に顔も体型もそっくりだが、その子よりは遥かに若々しいと自負しております。
ま、自称なのであしからず。

2010年11月 6日 (土)

ダイエット奮闘記、第3部エピローグ 一日二食に増やそうかと思って

コメント常連のゆりさんから、うつ病だからこそ、栄養を摂らないといけないと言われました。

栄養も摂る、ダイエットもする 両方やらないといけない所がつらいところだな。

朝起きるのが遅くなっているので、ブランチ気味に朝食を食べる事にしました。
だから一日二食になります。
一食一食の量は少しにするつもりです。
毎日200グラムずつ体重が落ちてきていたのですが、そのペースは遅くなる。
でも長い目でみていこうと思います。

こっから3kgが落ちないんだよね。
朝食も食べる事になったし、これ以上は体重落ちないような気もします。
ダイエット奮闘記、第3部エピローグは終了となり、その後まさ爺は平和に暮らしたとさ・・・・・


とできたら、どれだけ楽か(笑)
終わらないぞ~~~~ここまで来て。

シネマごしっぷ キムタクのヤマト ヒットするとは思えない

SPACE BATTLESHIP YAMATOの予告編が公開され、キムタクとメイサちゃんがインタビューに応えたりしています。
で、これ誰が見るんでしょうか?

あの白地に赤の矢印のような制服を着るだけで、コスプレにしか見えないし、真面目にやればやるほど、安っぽく見えるっていう。

エアロスミスのボーカルのスティーブン・タイラーが主題歌を歌うそうですが、そこだけちょっと期待。
でもアルマゲドン効果を狙ってみましたっていう日本側の思惑が見え隠れ。
エアロスミスとしてでなく、初のソロとして楽曲を提供するタイラーも、「そんなアジアのコスプレ映画の仕事なんてすんなよ」とバンドメンバーとちょっともめたから、ソロなのかなと深読みしてみたり。

で、これ誰が見るんでしょうか?という話だけど、ヤマトをリアルタイムで見たのは40代の男性。
その人が、どう頑張ったとしても劣化している映画を見に行くのか?
キムタク人気も陰りが見えてきた今、キムタク見たさでファンが行くのか?
子供に見せるには、内容が複雑だろうし。

そのうちテレビでやるから、それでイイやってパターンじゃないですか?
あ、20世紀少年もそのパターンだったな。
テレビですら見なかったけど・・・・

2010年11月 5日 (金)

僕と うつ病、闘病記 家庭を持つ事は無理なんじゃ?

これまでの闘病記は、病気が辛いとか いかに社会復帰するかとか その不安とかを書いてきた。
今回はそれとは違う話。
精神病患者は、当たり前の幸せを手にする事はできないのか?という話。

仕事に就けない、就けても動けない、人が怖い、まともじゃないよね。
家にひきこもれば、外出はしない、出会いは無い、ブクブクと太って、醜くなって、ますます外に出なくなる。
自信は無くなり、人をうらやみ、自分を情けなくおもい、自分を責める。

たとえば、彼女が欲しいと思ったって、先に話した内容から考えれば、まず無理だよね。
じゃぁ、家庭を持つ事も無理って事だろうか?
家族を養うために、朝から晩まで毎日働き、奥さんとも良好な関係でいられるように動く。
食器洗いすら手伝う事ができない人間が、仕事をして、家庭を持つなんて・・・。

結局のところ、人が当たり前のようにできている、家庭を持つって事は、無理なんじゃないかと思うようになっている。

精神病になってしまったばっかりに、当たり前の幸せを手にする事ができない。
それに周りを巻き込んで、迷惑かけて。

このまま独身で孤独死するのは構わないけど、それで兄弟に迷惑はかけたくない。
だったら、今のうちに自分で命を絶った方が健全ではないのか?

そんな事を考えています。

里芋将棋、言いたくても言えない

この前は、七並べをする夢を見ましたが、今度は将棋をやる夢を見ました。
将棋盤はプロの対局で使うような、高さがあって、一本の木からくり貫きましたっていう何百万もするような物。
がしかし、駒がオカシイ。
里芋で出来ている。
里芋の皮を厚めに剥いて、6角形の煮物にするようなカットの仕方をし、それを縦半分にしたら、将棋の駒っぽくなるじゃないですか。
そこに文字が書かれていて、真面目に将棋をしている。
これ里芋だよね? とか相手の人は言ったりしないので、僕もなんとなく言いづらくて言わない。

対局が始まる。
まず、里芋なんで、駒がつかめない。
相手は相変わらず真顔で手を考えているので、これ里芋だよね?とは言えない。

しばらく攻防が行われ(一手一手忠実に試合をしてました、この間何時間夢を見ていたのか?(笑))最後の頃になると手が痒くなってきちゃって・・・
でも相手は相変わらず真顔。
これ里芋だよね?とは後半戦になっても言えない。

あと数手で僕が勝てる、参りましたと相手が言うちょっと前で、目が覚めた。
黒豚が隣でイビキをかいて寝ていた。
なんだったんだあの夢は。
これ里芋だよね? とは最後まで言えなかった。

2010年11月 4日 (木)

ダイエット奮闘記、第3部エピローグ 一日一食でダルダル

最近一日一食しか食べてません。
朝起きるのが昼なので、ブブ彦の散歩に行き、それからコタツに移動して横になるだけの生活。
全然お腹も空きません。
夜ご飯だけで十分です。

その夕食も、味噌汁をまず飲み干して、お腹を一杯にさせてから、おかずを少々つまむ程度。
白いご飯は、もう何日も食べてないなぁ。

こんな食生活だから、一日中だるいのかもしれません。
病気プラス食生活で、もう起きてられません。
でも、痩せるまで続けますよ。
あと3kgは痩せたい・・・・
無理なのか?
無謀なのか?
止めといたほうがいいのか?
分からないけど、もう太るのは嫌。
それは恐怖に近い感覚。
太るのだけは嫌。

体重65.4kg
体脂肪率18%

散らかり放題の文字並べ  意味不明

七並べをする夢を見た。
でも数字で並べるのではなく、文字でならべる文字並べという新たなジャンルらしい。
ルールが良く分かってないのにやってるのがおかしいが、50音の頭文字で並べていくらしい。

で、トランプサイズの物を並べていくのではなく、原稿用紙を並べる。
一部トランプだったりもする。
サイズがバラバラで、テーブルの上に乗るわけがない。
床に大小さまざまな紙が並べられ、ゲームは続いていく。

途中から、百人一首のように、原稿用紙にかかれた作文を読みながら置いたり、取ったりが始まり、もはや七並べとは言えないゲームになっていた。

しかし、誰一人慌てる様子は無く、ゲームは続く。
最後は部屋中カードと原稿用紙が散らばる汚い部屋になったところで、試合終了。
誰が勝ち、誰が負けたのか?
それすら分からない、激しい戦いだった。

そこの「な」止めてるの誰だよ とかそういう会話は無かったな・・・
なんだったんだ?あの夢は

2010年11月 3日 (水)

ブブ彦日記 せわしない眠り

20101103寝ていても・・・・
いびきもかくし
寝言も言う
顔面はヒクヒク麻痺もする
たまに、走るような足の動きをする

寝てはいるが、せわしない。

シネマごしっぷ “らしい”の桜田門外の変

両親が映画「桜田門外の変」を観てきたそうだ。
まぁまぁだったらしい。

結局は、虐げられたから、仕返しをして、井伊直弼を切っただけの話で、今後の日本を考えて・・・という幕末の志士たちとは全く違った話だったらしい。
(今回は“らしい”連発ですからねw)

そんなんだから水戸藩はダメなんだよな・・・・

で、薩摩藩にちょっと裏切られちゃった的な描き方をしているらしいのですが、結局はちょっと悲劇的な事でもあったんだよって事にしたかったらしい。
でもやってる事はただの暗殺ですからね。
そこに正義も思想もありません。
野蛮人です茨城人。

後は隣に座った夫婦がず~~~~~~~~~と喋っていたので、Pちゃんがついに切れたらしい。
こっちは切る、切られるの話じゃなく、切れた話ですw
ブブ彦の散歩で、切れた後にどうなったかを聞けなかったのだけど、そういう非常識な人には誰かが言ってやらないといけません。

あぁ、食い道楽 ハルコマって何だ?

鹿児島のお菓子に春駒(はるこま)っていうのがあるそうなんです。
さっき初めて知りました。
「あくまき」は食べた事があって、好きなんですが、春駒は聞いた事も無い。
ネットで調べたら、材料は忘れたが、食感はういろうに近いってあった。
羊羹と餅の中間みたいな感じ?
いや、ういろうが良く分かってないぞ、自分。

土佐犬を飼ってる大伯父ちゃんが、鹿児島出身で、それで あくまき は食べた事があるのだが、春駒をお土産で食べさせてはくれないだろうか?
頼むわけにもいかないしねぇ。
送料どれだけかかるんだ?って話だし。
お取り寄せとか出来るのか?ちょっと調べてみようと思う。

まずは伯父ちゃんに春駒とはなんぞや と聞いてみて、旨そうだったら取り寄せてみようと思う。

2010年11月 2日 (火)

僕と うつ病、闘病記 弟が帰ってきて・・・1週間が経過

弟が家に帰ってきてから1週間以上経ちました。
平穏そうな毎日ですが、ジリジリと僕は追い込まれています。

弟は朝からキッチリ起きて、親と挨拶を交わし、日中は家の掃除をし、両親が帰ってくれば、1階まで降りて行って「おかえり」を言いに行き、毎日夕食を作り、食後はすぐに食器洗いをし、軽く団らんをしてから自分の部屋に戻り、決まった時間に風呂に入り、夜更かしせずに眠る。

これだけの事なんですがね。
でも自分には全て出来ない事であり、それを平然とやってのける弟。
弟なりに負い目があるから、こういう行動に出ているのか?
一人暮らしが長かったから、出来て当たり前なのか?
昔から几帳面な性格の弟だったが、ここまで凄かったか?
よく思い出せない。
一つ言えるのは、僕が発病した時には弟はもう東京に出て行ってたので、病気になってから一緒に暮らした事が無いのである。
昔は何とも思わなかった事が、今は気にかかるようになったという事は十分に考えられる。

さて、両親は初日に「弟を気にせず治療に専念しろ」と言ってくれましたが、とてもじゃないが、専念できてません。
弟を責めるつもりは無いですが、何も感じないわけがなく、自分の部屋にこもり、自分を責め始めています。

特に夕食時は辛いものがあります。
弟が作った物をいただき、食器洗いを手伝う事もせず部屋に戻る。
手伝わないとまずいとは思うが、身体が動かない。
完全に弟の足を引っ張ってる。
お荷物、パラサイト、ヒモのような生活・・・・

ここに来て、先生が言った「弟は他人」という考えが必要なのかもしれないと思うようになってきていますが、他人なワケがない・・・
隣の部屋にヒーローが越して来たような感覚です。
自分は何のとりえも無いし、人より確実に劣っているので、どうしても意識して比べてしまいます。
他人だと思うようにするには、どうすればいいのか?
顔を合わせないようにするわけにもいかないし、無視するわけにもいかない。
先生が言う他人とは、気にもとめない存在にすればいいという意味だろうけど、そう簡単にはいかないのが現実です。

消えてしまいたいです。
そう思い始めてます。

デジ物コバナシ スパム業者に勝利宣言

エッチなコメントをいかにしてシャットアウトするか?
ブログを見に来てくれている人を、いかに不快な思いにさせないか?
ブログを書き始めてから何年も試行錯誤してきましたが、ここ最近はまったく表に出る前に封じ込めてますね。
ブログの裏側を見れる僕には、エッチなコメントは届いているのですが、ワンクリックで削除できてしまうので、たいした事じゃありません。

もう数ヶ月表にコメントが出る事は無いので、勝利宣言しちゃいましょうかね。

君達がどんなに頭をひねっても、僕のブログには通用しません。
無駄な努力などしないで、真面目に働け。
こんなの書いてて空しくないのかい?
せっかく書いてもスパム認定されて、疲れないかい?ってね。

スパムコメントの欄に沢山しょうもないコメントが引っかかっていると、気分がイイです。
僕が仕掛けた落とし穴に落ちてやがる って感覚です。
僕の勝利宣言に頭にきて、いっせいにスパム攻撃とかあったら面白いのですが、業者は一人を攻撃するようなヒマがあったら、他の何十、何百にコメント書くことを選ぶでしょうから、ありえないかな?
もう業者の方が書く文章はどれも同じで、言ってくる事が皆同じ。
ワンパターンで飽き飽きですが、そのおかげで落とし穴に落ちてくれるので、助かってはいます。


たまに自分のコメントがスパムに認識されて、それを解除するのが面倒だったりしますけどね(笑)

日々微調整をしているので、より完璧な認識をするようにはしてます。
スパム業者よ、立ち去れい!!
そして健全な読者さん、コメントくれい!!

2010年11月 1日 (月)

ダイエット奮闘記、第3部エピローグ やつれた と 痩せたの大きな違い

そういや、1ヶ月ぶりに会った友人に「やつれた」と言われたな・・・・
痩せたじゃなく、やつれた・・・・
なんだろうね。
人生疲れちゃったオーラが漏れちゃってたんでしょうか?
目の下にクマができてるわけじゃないし、ヨレヨレの服を着ていったわけじゃないし、何?なに?顔だけで、やつれた感が出てたって事?
奴がどこまで本気で言ってたんだか分からんが、ショックだった(笑)
まぁ、冗談なんだろうけどさ。
痩せればそれでイイって考えだったからね。

適度にハリがある顔のが若々しく見えるのは分かるんだけど・・・
それでも痩せないといけないような気がするんだよね。

体重66.6kg(オーメンw)
体脂肪率18%

秋に鼻ティッシュ  まさか!?

なんだろう。
左の鼻の穴からだけ鼻水が出てきます。
風邪をひくようなやわな身体はしてないので、健康体ですが、だからこそ、この鼻水の原因が分からない。

仕方ないので、鼻ティッシュです。
えと、鼻にティッシュを詰めている って事です。
説明せずともわかりますか、そうですか。

この時期に花粉なんて飛んでないだろうし・・・・
いや、秋花粉症って言葉を聞いた事があるぞ。

まさか、秋花粉発症?
ちょっとこれは嫌だなぁ。
春だけでも嫌なのに。

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