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2010年11月15日 (月)

僕と うつ病、闘病記 初七日が終わりました

弟の初七日が終わりました。
母が部屋で遺書を見つけた時の悲鳴のような声と、検死室での消毒の臭い、 火葬場で、いよいよ火葬されるときにドアが閉まる瞬間の母の鳴き声が頭か ら離れません。

骨になってしまった弟を見ても、死んでしまって、もう会うことも話すこと もできなくなった事が、まだ信じられません。
また東京に帰って、そのうちひょっこり帰ってくるだけのような気がします 。

明日から両親は仕事に復帰し、日中弟の遺骨と2人きりになるのですが、自分を責めるんだと思います。

弟は楽になり、解放され、やっと自由になれたとは思うけど、同時に、もっ と何かできたはずだと考えずにはいられません。
もし、自殺を止める事ができたとしても、それは弟にとっては地獄が長引く だけ。だから死んでしまった事は許してやりたいし、弟の意思は尊重してやりたい けど、それとは別に自分を責めてしまう。

弟が庭を歩く音が忘れられません。あの時、弟に声をかけていれば・・・助けられたのに・・・・
部屋に逃げないで、弟と一緒に夕食をつくり、食器洗いをするべきだった。
もっと話をするべきだった。
こんな事になるなんて・・・
弟を邪魔者のように考えてしまった僕は、最低の兄貴です。

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コメント

弟さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます

まさ爺さんは好青年すぎるから
きっと自分を責めるだろうし
責める理由を探し続けていくのかも知れませんね

僕も好青年の端くれですから
その気持ちの一部がわかってしまって辛いです

言いたいこと
言いたくないことはいっぱいあるけど
今はひとつだけ

弟さんが自宅に帰られた意味は
家族に会いたかったからです
親御さんに
そしてまさ爺さんに

最期に会いたくなれる家族と
家族でいられたこと

弟さんは幸せだったはずです

せーさんこんばんは
最後に茨城に死ぬために帰ってきて、家族の前では明るくふるまい、自室の戻ったら遺書を書いたりしていた・・・
幸せだっただろうけど、同時にいつ死ぬか考えていたと思うと、どれほど苦しかったか・・・

僕たち家族は幸せでした。
でも弟は幸せだったと言い切れないので、それだけが心残りです。

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