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2010年11月21日 (日)

僕と うつ病、闘病記 忙しい事で救われる部分と罪悪感

49日法要と納骨の段取りをしてきました。
弟がいなくなってから、バタバタと日にちだけが過ぎ、弟の事を考えているような、忙しくて時間だけが過ぎているような、半々の感覚です。
弟の事を考えている時は、後悔や罪悪感ばかりになりますが、忙しいとそれを忘れる事ができる。
それは、救われている部分もあるけど、弟の事を考えてあげられない事が、罪悪感となっています。
いまだに弟が亡くなった事は信じられないというか、受け入れられないのですが、このまま悲しみも薄れていってしまうのでしょうか?
それも罪悪感を感じます。

無理して明るくふるまってる部分はありますが、ふっと気分が落ち込んで、泣いたりもしています。
自慢の弟がいなくなってしまったという事実は、これから嫌というほど思い知るのだと思います。

弟は今は楽になって、あちこち飛び回っていいるのかもしれませんが、遺族は十字架を背負わないといけないのでしょうか?
弟は苦しみから解放されて、笑っているのでしょうか?
残された家族がこれほどまでに苦しんでいる事をどう見ているのだろうか?
少しは申し訳ないと思っているのだろうか?
答えは一生出ない。

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コメント

人には話せない悲しみややりきれなさに
理由や答えを求めたがるのは人間の宿命

他の人はわからないけど
問い続けることが人生そのものだと思います

年月を経て
過去に導いた答えが変化していく実体験で
今の僕はそう確信しています

答えより問いに意味があるのですね
それはつらいことだけど

だからゴールに期待することはしません
ゴールは存在していないとも思います
あるとすれば今がゴールであり
ゴールの連続

腰を上げ
冷たい風に吹かれ
陽射しの暖かさに気付き
励まされる

その繰り返しですよね

せーさん、いつもコメントありがとうございます。
せーさんの言葉はいつも僕を救ってくれますね。
問い続ける事が人生だというのは同感です。
まだ頭が回ってなくて、上手い事いえないのですが、せーさんの言いたい事は良く分かってます。

せーさんのサイトも見に行ってるんですが、何を書いたらいいか分からなく、見るだけのストーカープレイを繰り返しています。
またお邪魔させていただきますね。

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