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2010年12月の20件の記事

2010年12月31日 (金)

今年の猛反点

今年も色々ありました。
いや、無かったかな。
今年の最初の頃に立ち上げた予定では、暖かい季節にプチ放浪の旅に出て、後半の半年は職探しをしようと思っていたのに、どちらも何もせずに終わってしまいました。
トーイックの試験を受けるなんて言ってましたが、それも出来なかったし・・・
また一年無駄に過ごしてしまったような気がします。
親友は、仕事を見つけ、どん底(失礼w)の生活から復活したというのに、僕は何も変わらない一年でした。

そういえば、今年の正月から勝手に断薬実験を開始し、上手くいきかけたのですが、結局薬を飲む事になり、今は安定しています。

11月には、事件が起こり、苦しかったし、まだ完全には立ち直ってはいませんが、辛い事の後には良い事が起こると信じているので、来年はいい年になるような気がします。

あの事件からブログの更新もすっかり休んでしまって、更新を楽しみにしている人には申し訳ない状態です。
ジョジョに毎日更新に戻していけるようにしていこうと思います。
もう少し待っていてくださいね。

では、みなさん、良いお年を

2010年12月28日 (火)

髪を切りたくてしょうがない

あぁ、もう髪を切りたい、切りたい、切ってしまいたい。
毛先は痛み、パサパサで、手ぐしも通りません。
強引に通そうとすると、ブチブチと切れる始末。
カラーとパーマを繰り返して蓄積したダメージは、もはや回復するのは無理と判断しました。
この痛んでいる部分をバッサリと切ろうと思うんですけどね。
こういう場合って、毛先だけを切る事になるんでしょうかね?

髪の長さも肩を超えて背中の方まで伸びてますが、3分の2か、半分くらいまで切りたい。
後ろで一つに縛れる長さで、一番短い長さ・・・くらいでもいいんですけどね。

どこまで切るかは悩みどころでありますが、問題は“いつ行くか”である。
今年はもう無理だよね。
年が明けて、ちょっとしたら、行こうかと思ってます。
でも早く切りたいっす・・・・
でも電話が怖くてできません。
でもでも早く切りたいです。
電話は怖い。
切りたい。
怖い。
葛藤であります。

2010年12月27日 (月)

ブブ彦日記 近況報告

20101227最近、ちょっと太りました。
ブブ彦がですよ。
なので餌の量をちょっと減らしました。
犬は、文句も言わずに、完食します。

それと、昨日、ブブ彦が歩けなくなってしまいました。
がに股で立ち、そこから歩けない。
爆弾のヘルニアが悪化してしまったのか?と心配になりましたが、数分後には元通りになりました。
腰の辺りがつってしまった?らしい。

2010年12月22日 (水)

僕と うつ病、闘病記 現場近くまで行ってきた

弟の遺体が見つかった場所の近くまで行ってきた。
さすがに、まさにココでという場所まで近づける程、立ち直ってないし、そこには弟の苦しみしか残っていない場所なので、今後も、まさにココでという場所には行く事は無いと思う。
行って花でも供えてやれば?と思うかもしれないが、その場所に花がある事で、ここで自殺があったと一般の人たちにも分からせてしまうので、それはやりません。
噂話の種にしたくないし、心霊スポットにでもなったら、僕は耐えられないので、花はお供えしません。
それに弟はそこにはいなくて、成田のお墓で今は笑ってると思うので、行く必要は無いのだと思う。

この場所に来るのは、弟が亡くなってから2回目。
しばらくはその方角に行く事すらできなくて、夜になると怖くなったけど、いつまでもそうしているわけにもいかないので、一人近くまで行く事にしたのです。

距離にして100メートルくらい遠くから、現場を見たのだけど、色々な感情が湧き出してくるような、逆に何も考えられないような気持ちになります。
なぜココにしたのか?
死亡推定時刻までの暗くなってから数時間あったが、その間、何を考えていたのか?
わかりようもありません。

これで楽になれるという、希望に近い感情は僕にもわかるから、そういう気持ちもあったと思う。
それと同じくらいに、残された家族の事も当然考えていたはず。
遺書を見つけた家族が助けに来てくれるかも?という希望は無かったと思います。
ずっと苦しんでいた事を遺書で全て告白しているのに、いまさら家に帰って、家族から温かい言葉をかけられる事で、家にすら居場所が無くなると思うので。

そう考えると、生きるか?死ぬか?の悩みはゼロで、問題はどのタイミングで逝くかだったのだろうと思う。
あれだけの遺書を書いたのに、暗くなってからすぐに死なずにいたのは、どういう意味があったのだろうか?
やはりそこが一番気がかりです。

もうすぐ楽になれるという気持ちと、家族への想いの間で揺れ動いたのだろうか?
遺書を置いて、家を出てから、亡くなるまでの6時間以上の時間は、一番苦しかったよな。

兄らしい事は何一つしてやれなかった。
もっと何かできなかったのか?
どこまで弟の気持ちを代弁できるのか?
一生考え続ける事になるのだろうか?

2010年12月20日 (月)

僕と うつ病、闘病記 あっさりと終わった納骨、気持ちもスッキリ

コメントをくれた、ゆりさん、せーさんありがとうございました。
昨日、弟の49日法要&納骨を済ませてきました。

前日の晩、もうこれが最後の夜になるからと、お骨を前に家族で泣いたのに、あっさりと朝が来てしまい、慌てて朝風呂に入り、ブブ彦の散歩に行き、喪服に着替え、家を出発。
あっという間に成田に到着し、法要が始まってしまった。
密葬だったから、お経を唱えてもらえるのはコレが初めて。
いよいよ弟が死んだ事を認めざるをえなくて、涙が止まらなかった。
しかし、お経もあっさりと終わってしまい、すぐに納骨に行く事に。
もう墓石はどかされていて、爺ちゃんたちの骨壷が一瞬見えた。
しかし、塔婆と立ててくれという重役を任されてしまって、墓の裏側に回って仕事に励んでいたら、納骨が終わっていた。
結局、骨壷を一度も見ることなく納骨が終わってしまった。
Pちゃんの話によると、ど真ん中に弟の骨壷を置いてくれたそうです。
亡くなった一族の平均年齢が大きく下がるのは問題だけど、爺さん婆さんばかりのお墓の中に新風を吹き込んでいる事でしょう。
暗い墓に入れるのは可哀想という気持ちは全く無く、嫌いだった地元を離れて、爺ちゃんがいてくれる所に入れたのだから、本当の意味で弟は全てから解放されている事でしょう。

家に帰ってきてから言ったのですが、気持ちが更にスッキリしたなと話しました。
火葬場からお骨になった弟と家に帰ってきた時も、初めて食事が喉を通ったのですが、あの時のような感じがまたあり、気持ちが楽になりました。
もう、泣く事は無いとは言えませんが、ずいぶん減ると思います。

お洒落でこだわりの多い弟は、仏壇に位牌を飾ったら絶対に怒られるので、コルクボードに弟の写真を沢山ピンで止めて、花と一緒に飾って、明るいカフェのような一角を作りました。
これがいい感じでね。
見ていて笑顔になります。

弟は今頃、爺ちゃんに怒られるのも終わり、一緒に酒を飲んでいると思います。
酒に弱い一族なので、爺ちゃんにちょっと勧められた日本酒を飲まされて、グデングデンになっているでしょうが、これから毎日晩酌を付き合わされて、ノンベエになる事でしょう。
それでイイと思う。
弟も僕も解放された一日でした。

今日から、さらに頑張ろうと思います。

2010年12月18日 (土)

僕と うつ病、闘病記 弟との最後の1日

いよいよ今日が弟と過ごせる最後の一日になってしまいました。
明日は早くから千葉県成田市に行き、そのまま49日法要を済ませ、その後納骨。
それでおしまいです。
ほんとうにお別れです。
我が家の墓が無い事、近場に墓が無い事で40日近く、弟のお骨と一緒にいる事ができました。
これは気持ちの整理をつけるのにはとても救われましたし、2週間しか一緒に生活できなかった遺族としても40日も追加で一緒に生活できるのは、幸せだったと思います。

弟に食べさせたい物はほとんどお供えしたし、骨壷の重さで足が痛くなるまで抱っこさせてもらいました。
可愛い弟が、自慢の弟が、こんなに小さく、軽くなってしまった事が、まだ信じられませんが、同時にもう会えない事も理解しています。
骨壷を抱いていると、どうして僕に相談してくれなかったのか?や、何てことしちまったんだよお前はとか、なんとかして助けられなかったのか?とか考えてしまって、涙が出てきます。

僕が泣くと立ち直りかけている家族が(皆気丈にふるまってるだけだが)また、逆戻りしてボロボロになってしまうような気がして、あまり泣かないようにしているのですが、昨日、骨壷を抱いてる時は涙が止まりませんでした。

いよいよお別れなんだな。
お盆では一緒にいられるっていうけれど、霊感ゼロの僕には何も見えないだろうし、もう声を聞くことも触れる事もできなくなるんだな。
僕はいつまで生きられるか分からないけど、爺ちゃんと弟と3人で酒を飲む日を楽しみにしてるよ。
僕が弟を誇りに思っているように、弟からも僕が自慢の兄貴と紹介できるような生き方をしようと思う。

もうあまり泣かないようにするよ。
それが弟の望んでいる事だって分かってるし、家族も再生させないと。
僕は甘えている所が沢山あるから、それらを正していこうと思う。
見ていてくれ。
これからはずっと一緒だから、何があっても負けないから。

2010年12月16日 (木)

僕と うつ病、闘病記 自殺遺族はうつ病になりやすいとキッパリ言われる

病院に行ってきました。
僕はここ数ヶ月とても安定しているので、今日の診察は、自分の話はせずに、ほとんど姉の話をしてきた。

姉はこの前「消えたい」とメールに書いてきて家族が騒然となったのですが(典型的なうつ病患者が口にする言葉なので)先生はこの「消えたい」メールをかなり心配していた。

僕がマメにメールしたり、この前も姉の家に母と一緒に押しかけて、元気か確認しに行ったのだけど、そういう時は元気にふるまってるだけの可能性があるって言われた。
確かに、家にまで来てくれたら、落ち込んでるところは見せられないって心理は働くよなと思う。
ハッとしました。
姉に会うといつもニコニコしていて、安心させられるけど、それは無理してるんじゃないか?と今更になって気付いた。

苦しかったら何でもメールしてって言っても、姉はメールを読む相手の事を考えて書いてるだろうから、100%吐き出してないと思う。
頼りない弟かもしれないけど、何でもいいから吐き出してほしい と送りました。
それに対して、姉を納得させる答えを返せるかは分からないけど、誰かに気持ちをぶつけるだけでも違ってくると思う。

それと、1月になっても姉が「消えたい」と思っている場合は、病院に連れて行くって話があるのだけど、普通だったら新規に診察をしてもらう場合、3ヶ月待ちくらいなんだけど、特別に早めに診察できるようにはからってくれると先生が言ってくれた。
「なんとしても、もうY家から死者を出すわけにはいかない」って先生言ってた。
それはY家の僕、Pちゃん、母の3人の事を言ってるんじゃなくて、姉を死なせるわけにはいかないって事を言ってるわけです。

身内が自殺した場合、遺族がうつ病になってしまう事は多いのですか?って聞いたら、「多い」ってキッパリ言われた。
だから姉が心配で心配でね。
姉は精神化に通う事に抵抗があるかどうかは分からないけど、早くに行けば行くだけ治りも早いし、精神科は拍子抜けするくらいに、普通の病院と同じだよ。とメールする。
1月になっても気分が落ち込んでるなら、「病院紹介して」って正直に言ってほしいと言いました。

僕は安定しているので、薬に変更は無し。
朝:セルシン2mg、アキネトン1mg
夜:セルシン2mg、アキネトン1mg、ピーゼットシー4mg、セレネース3mg です。

また頑張ります。
姉と一緒に頑張ります。
応援コメントがあったらヨロシクです。

2010年12月15日 (水)

あぁ、食い道楽 炭火焼肉トラジ チーズ明太石焼ビビンバ

20101211ディズニーリゾートのイクスピアリにある炭火焼肉トラジに行ってきた。
トラジとは有名店らしいのですが、僕は肉にはかなり疎いので、さっぱり知らない。
どの店で食べるかを決める際にトラジコールがかかるほどだった。
それほどの有名店なのか・・・・
何度も言うが、僕は全くトラジを知らない(笑)
僕は肉は大量には食べられない人なのだが、皆が食べたいというから食べる事にした。
イヤイヤではない。
別に肉は食べるのよ。
ただ量が食べられないだけで。

だから頼んだのも、チーズ明太石焼ビビンバという焼肉が一切関係無いメニュー。
友人たちから焼肉を数キレ分けてもらい食べられたし、それで良かった。
旨かったよ。
お箸で切れるような肉なので、ほとんど噛む必要は無し。
それと牛肉の寿司も頼んだがこれまた旨かった。
とろけて無くなってしまったよ。

肉って言うのは案外旨いもんだなぁと実感する。
ただ大量には食べられないから、焼肉をガツガツ食べるような事は無理なのだが・・・・

ビビンバ食べただけで満腹になってしまって、ほんと自分は少食だなぁと痛感。
それでも仲間のランチに付いてきたスイーツは僕がいただきましたが・・・

またお金を貯めて、高い肉を食べに行きたいもんです。
また僕はビビンバとかしか頼まないだろうけど、友人達が喜んでくれるなら、それで良いと思う。
いやぁ~旨かった。
お肉って案外いいもんですねぇ~

2010年12月14日 (火)

タートルの首は折ってはいけないらしい

僕は首が長い。
それがコンプレックスだ。
女優さんだったら首が長いのは良い事だろう。
というか、首が長くないとだめだろうってくらいに重要なのかもしれない。

しかし男の場合首が長いのはまったく必要ない。
マッチ棒のように見えるし、ヒョロヒョロのイメージにしかならない。
僕のこのほぼマッチョが台無しになってしまう。

首が占める割合が増えるという事は、座高が高くなるということだ。
首に比例して足も長くなれば、モコミチ君のような感じになるのかもしれないが、足の長さは普通なので、やはり座高がえらいことになっている。

で、タートルネックを着ても、首が余って見えてしまうから嫌なんだって話をしたら、今時はタートルの首の部分は折らないって言うんです。
そ~ですか、折らないんですか。
雑誌に載ってる包茎手術の広告のように、タートルをアゴまで引っ張って着ているような事になるのでしょうか?
なんか、折らないし、伸ばさないしで、クシュクシュにして自然な感じにしとくそうです。
そ~ですか、そ~ですか。
もう首が余って見えてしまう事とは、オサラバできるんですか、今年の冬は。
タートルの首を折るのは、えなり君くらいだろうって言われてショックを受けました(笑)
そ~ですかそ~ですか・・・

いや待てよ、別に首が短くなるわけじゃないから、クシュクシュの部分が、コイツやけに長くないか?とは思われるんだよな?

結局なにも変わらないような気がする・・・・・
厳しい世の中である。

2010年12月13日 (月)

あぁ、食い道楽 川越達也のキムチ

20101213母が川越達也イチオシキムチという物を買ってきた。
一瞬意味が分からなかった。
川越達也はイタリアンシェフだからだ。
パティシエは修行時代にキッシュやパンを習う事はあるが、イタリアンシェフの川越達也は韓国料理には全く関係は無いだろう。
天才料理人というよりは、ルックスで人気になっているような印象がある人だが、最近バラエティー番組とかにも出演し(ハンターに出ているのを見てしまったw)、何処を目指しているのか分からない人である。

おねがいランキングなどでは、来栖けいと真っ二つに意見が分かれたりするので、神の舌を持つというよりは、努力家とかそんな感じなんだと思う。
まぁ、最近迷走しているのは否めないが・・・

そんな迷走をしている川越シェフが、イチオシのキムチとはどんな物なのか?
さっそく食べてみた。
まろやかで酸味がすくなく、食べやすいキムチである。
量も少量で、酸っぱくなる前に食べきれるような量になっている。
僕はこういうキムチは好きですね

ただ、やはりイタリアンシェフの川越達也がキムチをオススメするってのは、オカシイと思う。
旨い物はなんでもオススメするってスタンスなら、イタリア料理店をやらないで、無国籍料理をやればいいんだし、キムチだけなぜイチオシするのかね?
まぁ、有名な川越スマイルがプリントされたキムチは間違って他のキムチを買う失敗も少なくて、助かってはいるようです。
実際、売れているようで、すぐに売り切れになるほどらしい。

どこへ向うのだろう川越達也・・・・

2010年12月12日 (日)

シルクドゥソレイユ ZED 絶対に体験するべきだ

20101212zedディズニーリゾートの一角にある、シルクドゥソレイユZEDを見てきた。
いや~凄かったなぁ。

開演前にピエロの2人が会場を歩き回り、観客にちょっかいを出している。
席を探す観客の後を音も無く付きまわり、観客本人が気付くまで歩いたり、観客の膝の上に横になって寝てみたり、カップルの席を交換させたと思ったら、立てだの座れだの命令し、笑いを誘う。
そこに会場中の視線があつまるようにさせといて、その2人がステージに集まり、違和感なく開演する。
前座の会場を温める役割とステージの導入部のスムーズな移行がすばらしい。
次に、CMにも出ている白髪のドレッドヘアの男の人が上空から布一枚に巻きついて降りてきて、軽~くアクロバットをする。
で、次の瞬間手を滑らせるミスをして一気に下に落下する。
床に激突すると思った瞬間、さっきまで床だった所が、いつの間にか穴になっていて、床に敷き詰められていたシートと一緒に男は穴の中に吸い込まれていく。
床のシートが男と一緒に消えると同時に天井や壁にも貼られていたシートが一気に剥がされ、ステージの全貌がお目見えする。
もちろん、この瞬間とばかりに大音量の音楽がなり、もう目は会場に釘づけ。
なんという意外性。
なんという独創性。
なんという遊び心。

パフォーマーの人達の超人的なアクロバットは素晴らしく、目を見張るが、ただステージの上で演目をこなしているわけではない。
生演奏の音楽も素晴らしいし、色鮮やかな照明も演出を盛り上げている。
なにより、ステージのあちこちで同時にパフォーマンスが行われ、何処をみたら良いのか分からない。
頭上を見たら下が見えないし、奥を見たら、手前が見えない。
一度で全ての様子を把握するのは無理だ。
それが演目を単調にさせない秘訣で、このスタイルは最後まで続いた。

何度拍手をしたか、何度鳥肌が立ったか、何度泣きそうになったか。
素晴らしい体験だった。

ディズニーランド、ディズニーシーに行きたいと、多くの人は言うが、行った感想は「楽しかったね」だと思う。
一方のZEDは感想が上手く言えないのだ。
「素晴らしかった」「感動した」「また見たい」何を言っても陳腐に聞こえる。
これを書いている今も、まだ興奮が冷めやらず、余韻に包まれている。
「心が鷲掴みにされ、心が揺さぶられる」そんな感想かもしれない。

座席は15000円の一番イイ席を確保したが、全く高いとは思わない。
あれだけの体験ができるなら、むしろ安いくらいだ。
サーカスに毛が生えたような物だと侮るなかれ。
これを見ずにして、何を語る というくらいのエンターテインメントの極致だった。

絶対に体験するべき。
一番イイ席で。
絶対に後悔はしないと断言する。

2010年12月11日 (土)

僕と うつ病、闘病記 弟の為に毎日ご馳走

我がY家、本家の墓は千葉県にあり、行くのに2時間はかかる。
弟の死は突然だったので、葬儀の後の食事をとりながら、千葉の墓に入れさせてくれないか?と婆ちゃんとPちゃんの兄弟に許可をもらった。
そういう経緯があって、弟のお骨は葬儀の日にお墓に入る事なく、まだ家にある。
お骨に向って色々と声をかけられるので、会話しているような感覚があり、それが気持ちを随分と楽にしてくれている。
突然亡くなり、その翌日に納骨していたら、今のような安らかな気持ちにはとてもなれずに、後悔ばかりの毎日を過ごしていたように思う。

弟が亡くなってからの1ヶ月は、後悔ばかりの毎日でしたが、納骨までの最後の2週間は、弟が好きだったもの、食べさせてやりたかった物を、作ってやって、お骨の前に供えてやる事に決めた。
毎日、肉だの、寿司だの、鰻だの、その他母の味だったり、甘い物だったりと、エンゲル係数がとんでもない事になっているらしいが、次のお盆まで弟には食べたい物をあげられないので、それでいいと思う。

母も泣く時間がだいぶ減り(と言っても毎日泣いているが)後悔や謝罪よりも、今までありがとうって言うようになってきている。
弟も自分の前で泣かれているよりも、ご馳走が毎日出てきて、家族で笑いながら一緒に食事をとる事の方が絶対に喜んでいると思う。
そういう団らんがしたくて、この家に最後に戻ってきたはずだから。

もうこの最後の2週間は、ダイエットは無視します。
体重なんかを気にするよりも、弟と一緒に旨い物を食べて、笑って過ごしたい。
痩せるのは納骨が終わって普通の食生活に戻ってからでいいと思う。
今年の正月は質素な物になるだろうし、そのままダイエットが続けられると思う。

納骨まであと8日。
もっと弟と一緒にいたい気持ちがあるが、別れはすぐそこまで来ているんだよな。
もう亡くなった時点で別れを経験しているはずなんだけど、まだお骨が家にあって、弟が本当に亡くなったのか、理解できてない部分もある。
これが納骨して、家には位牌しか無くなったら、また別の悲しみがやってくるんだろうとは思う。

今も毎日お骨に向って、ありがとう、幸せをいっぱいありがとうって声をかけてるけど、納骨の時にもデカイ声で同じ事を言ってやろうと思う。

それと弟と同じ墓に入るのは40年以上先の事だろうけど、僕はあの後こういう人生を歩んで、色々体験して、楽しい人生だったと弟に自慢してやろうと思っている。
「ちょっと僕は早まっちゃったかな?」って弟に言わせるような、そんな人生を歩みたいと思っています。

もっともっと強くならないとね。
また頑張ります。

2010年12月10日 (金)

開運ウリ坊を飾れという強制命令

親友に誕生日プレゼントをもらったのだが、受け取り拒否はできないと前日に言われていた。
嫌な予感がする。
そしてなんとなく想像がつく。
立派な包装紙の中にウリ坊のストラップ???が入っていた。
なかなか可愛い。
ロバが好きなら、ウリ坊も好きだろうという考えだったようです。
当たりである。
参照:「ロバぁぁぁぁぁぁぁぁ(愛)」へのリンクはこちら

いやぁ、なかなか可愛いね、ありがとうと言おうとしたら、パンツを下ろしてみろって言う親友
もうそれだけで分かりました。
分かってしまった。
こいつが可愛いストラップなどプレゼントするはずない。

パンツを下ろすと尻尾があった。
しかし良く見ると尻尾じゃない。
×印に糸の縫いつけてあって、そこから茶色い物が出ている。

開運ウリ坊と札には書かれてて、運の部分がウ○チの絵になってる。
こういうしょーもない下ネタが大好きな奴なんですよ、親友は。

水戸藩なので、黄門様の話が大好きな親友。
否、そしたら茨城県民全て、黄門の話が好きだという汚名が。
そんな事は無い、僕のような、ほっといても上品さがにじみ出てしまうような人間も沢山いる。
こいつは下品な言動さえなければなぁ・・・・と思うのだが、これこそが親友の芸風なので、一生変える事は無理なのだろう。

さて、このストラップを車に飾れと言ってきた親友。
飾りますけど、パンツは履かせるよ。
パンツにもご丁寧に穴が開いていて、ウンが飛び出るようになっている芸の細かさ。

ほんっっっと、こういう下品なの好きなんだよね。アイツ。

2010年12月 9日 (木)

あぁ、食い道楽 アルチザン パティシエ イタバシ モンブラン

隣町にあるケーキ屋に行ってきた。
その隣町では美味しいという話は、耳にしていた。
ただ値段が高いという。
一番有名なのがモンブランで、小さいモンブランが600円もする。
他のケーキは450円くらいなのにモンブランだけ600円。
強気である。

さっそくケーキ屋に突入すると、モンブランは1個しか残ってなかった。
お昼に行ったのに、もう置いてない、値段も高いのに、売り切れますか。

他のケーキもちょっと小さめ。
それで500円近い値段はちょっと割高感がある。

お店はセンスが良く、ビートルズの写真やジョンレノンのイラストなどが、飾ってある。
ビートルズの音楽もかかっていて、オーナーのビートルズ好きがうかがえる。
ケーキもお店の作りと同じでセンスが良く、どれも美味しそう。

しかし問題は味である。
家族3人分プラス弟の分で4種類のケーキを買った。
モンブラン、フランボワーズのミルフィーユのようなケーキ、洋ナシのタルト、ホワイトチョコのケーキの4種類だ。
まずはなにより、モンブランを食べる。
栗のクリームは濃厚で、底はタルトでもスポンジでもなく、メレンゲを焼いたサクサクの物。
これがイイ。
こういうモンブランは初めて食べた。
これは旨い。
この前食べたトシ・ヨロイヅカのモンブランにはかなうわけないが、田舎のこの地でこれだけのモンブランはなかなか食べられないだろう。
参照: 「トシ・ヨロイヅカ Mont-Blanc(モンブラン)」へのリンクはコチラ

フランボワーズのケーキは、まずまずの美味しさ。
これまたトシ・ヨロイヅカで食べたアンニャには到底かなわないが、なかなか頑張っている。
参照: 「トシ・ヨロイヅカ アンニャ」へのリンクはコチラ

洋ナシのタルトは洋ナシがちょっとナヨっとしていて、食べ応えが無い。
味も普通。
ホワイトチョコのケーキもどこでも食べられるレベルだったかな。

モンブランは頑張ってるけど、他のケーキも含めて、値段と大きさ、味、隣町まで行く手間を考えると、また行くかは微妙。

アルチザンの公式HPへのリンクも張っておきます。
アルチザン パティシエ イタバシへのリンクはコチラ

2010年12月 8日 (水)

人生初、検問

もう1月以上前の話だけど、生まれて初めて検問という物に会いました。
最初は工事か何かをやっていて、片側通行にでもしてるのかと思ったのですが、棒の先に止まれと書かれた旗を車の前に出されまして、強制的に停車させられました。
警官がウヨウヨいます。

一瞬、この前母が東京で捕まった時を思い出す。
参照:「母が捕まった(笑)」へのリンクはコチラ
何か違反したか?
シートベルトはしているし、携帯を使っているわけでもない。

窓を開けると「一斉検問です」と言われ「免許証を見せてくれ」と言われる。
飲酒運転の取り締まりかと思ったけど、周りに飲食店などない本物の田舎道だったので、飲酒運転取締りじゃないみたい。
まぁ、酒臭かったら、ちょっとこちらへ となっていただろうが・・・

好奇心に負けて、言わずにはいられなかった事がある。
「何かあったのですか?」
である。
おそらく、止められた車に乗っている人全てが聞くであろう質問。
テレビや映画で検問のシーンがあると必ず出てくる質問だ。
ずっと言ってみたかったのだ。

「今、凶悪犯がこの辺りを逃走してまして」という言葉を期待したのだが、年末で事故が増えるのと、車上荒らしが多いから気をつけてという事だった。
ちょっと拍子抜け。

免許証をみて、家がある土地の名前を出し、そこに帰る所ですか?とさりげなく探りを入れてくる。
こういう時に、やましい事があると挙動不審になったりするんだろうね。
警官の口調は柔らかかったが、目は笑ってなかった。
恐ろしい。

でもまぁ30年以上生きてきて、初めての検問体験は面白い物だった。
急いでいる時や、出勤途中だったら、イライラさせられるんだろうけど・・・

2010年12月 7日 (火)

僕と うつ病、闘病記 母は僕が心配、僕は母が心配

母が心配性でちょっと僕も心配である。
僕が朝遅くまで起きてこないと、忍び足で僕の部屋に入ってきて、息をしているか顔を覗き込んでいたりする。
何かの気配を感じて僕が目覚めると、母の顔が目の前にあって、かなり怖い。
部屋で後追い自殺しているのではないか?と心配で見に来て、寝ていたら、息をしているか確認せずにはいられないらしい。
ちょっと病的な心配の仕方なのである。

そういう事があったので、なるべく早く起きて、自分から1階に行き、一日中母の目に付く場所にいるようにしている。

1階のコタツにすぐ入り、横になっているのだが(身体がすこしダルいし眠いので)、母が泣いていたり、弟の遺骨の前に座ってずっと黙っていたりする様子を見ていると、寝てもいられない。

僕も横になりつつも母をずっと目で追っていて、鼻をすする様な音が聞こえたら、すぐに駆けつけるようにしている。

母も僕を気遣い、「寝ろ」って冗談っぽく言うのだが、とてもじゃないが眠れない。

2階の自室にいていいのなら、一日中寝ていて、身体的には楽だが、そんな事はとてもできない。

母は僕が心配だし、僕も母が心配。

母が落ち着いている日にウトウトこたつで寝てしまったら、また僕の顔を覗き込んでいる。
弟が遺体で家に帰ってきて、部屋に寝せている時の寝顔と僕の寝顔が重なり、僕まで死んでしまったのではないかと思ってしまって怖くなるそうだ。
「コタツで寝てるだけで死ぬかよ」ってツッコミ気味に言うんだが、全然笑ってくれない。
弟と僕の顔は全く似てないが、それでもダブらせて見てしまうあたりが心配である。

もう僕が何をしていても心配だそうで、弟の前に行き、黙って遺影を見てるだけでも、後追い自殺でもする覚悟を決めているかのように見えて怖いと言う。
真顔になって外を眺めていても、ブブ彦を見ていても、悪いことを考えているのでは?と心配だそうだ。
なので、いつも笑顔を見せろって言われるのだが、「一日中笑ってたら危ない人だろう」ってツッコミを入れるのだが、やはり笑ってくれない。
なるべく明るい話をするようにしているし、弟の話になっても最後は安心させるような終わり方になるようにしているが、笑顔を見せろっていうのは大変。

一日中1階にいるようにしているから、自分の時間は無く、やらないといけない事はどんどん溜まる一方だが、あと数ヶ月は母から離れる事は無理だと思う。
また寝起きに顔を覗き込まれているのは、勘弁してほしいので、なるべく早起きしないといけないのだけど、そうすると身体がダルい。
一日中笑ってないといけないしw それはまぁ、無理なのだが、色々と大変である。

また頑張ります。

2010年12月 6日 (月)

チャラ男(失礼w)っぽい友人の本当の姿

中学からの友人が消防士を仕事にしている。
その友人が勤めている消防署が近所にあって、そこを最近散歩するようにしている。
友人と会うと出てくる、消防士の話は、変人たちの集団のよう。
筋肉バカがいたり、日焼けにこだわる人もいたっけかな?
飲み会ではバカをやり、旅行にいけば、予算がたらなくなったとかそういう話ばかり。

今回消防署の裏を歩いていたら、消防士が高い所に登り、手すりにロープを縛り、なにやら合図を出し合っている。
友人がいたりして と思っていたら、声が特徴ある友人の声。
でも高い塔のようなところでやっているので、顔は見えない。
見えないが、口調は厳しい。
自衛隊とかそんな感じ。

人命に関わる仕事だから、締めるところは締めるんだよね。
当たり前だけど。
でも友人はそういう厳しい話はしたことがなくて、いつもしょうもない人が集まっててみたいな事しか言わない。

こうやって町を守るために、人が見ていない所で努力、訓練をしている消防士が、やけに頼もしく見えた。

その後、友人にあの時間訓練してなかった?とメールしたら、仕事中だというのに返事が返ってきた。
「声かけてくれればよかったのに」とある。
無理無理。
あの真剣な訓練を中断させられるわけがない。
人命が関わるのだ。
僕の好奇心で邪魔はできない。

普段はノリの軽い友人だが、愚痴も言わずに仕事する様子は、ちょっとかっこよすぎた。
尊敬します。
働く男はいいねぇ。

2010年12月 5日 (日)

あぁ、食い道楽 カフェインに弱い男

コーヒーを飲んだら、僕は夜眠れなくなってしまうのですが、それを家族に言ったら、笑われました。
お子ちゃまだというのだ。

いやいや、そんな事は無い。
他にも眠れなくなる人はいるはずだと、聞き込み調査をしているのですが、誰一人、そうならんと言う。

僕も成長しまして、コーヒー1杯くらいなら、眠れるようにはなったんですが、3杯飲むと明け方まで眠れない。
オシッコからコーヒー臭がするようになると、確実に眠れなくなります。
僕からすると、眠れなくなるのは普通で、眠れる人は、どっかおかしいんじゃないかと思うんだけど、比率で言うと9割以上の人が眠れる派なんですよね。
おかしい。
みんなオカシイよ。
ハイ、僕がオカシイと言われます・・・・・

2010年12月 4日 (土)

恐怖の試着室、極力近づかない

先日、洋服屋を連れまわされた「本当にあった怖い話」をしましたが、その番外編の話です。
参照:「3時間でユニクロに4回行く、その恐怖のバイタリティー」へのリンクはこちら
僕は洋服屋が苦手でなかなか自分から行こうとしないのですが、その最も苦手とする物が試着室である。

ファッションに興味があったり、ウィンドウショッピングが好きな人は、タダで色々な服を着る事ができるし、似合うかどうかのワクワク感がたまらないのかもしれないが、僕は別の意味でたまらない。

洋服屋から1秒でも早く逃げ出したいので、試着は極力したくない。
1万円の服が(そんな高い服は買えませんが)あったとして、サイズが合うか分からない。
だとしても試着しないで買いたい。
家に帰って着てみて、サイズが合わなかったとしても、試着すれば良かったとは思わないだろう。
捨て金になってしまうとしても、試着は極力したくないのだ。
返品しにまた洋服屋に行こうとも思わない。

そういえば、試着はしないから、自分のウェストのサイズも知りません。
毎回それで頭を悩ますんです。

あと、1秒でも早く逃げ出したいので、ズボンの裾上げはしません。
足が長いと自慢しているのではなく、30分も洋服屋で待つならば、長すぎて履けないとしても構わないと思ってしまう。

でも、それで着る物が無いからと、また洋服屋に行かないといけなくなると、さらに辛いので、我慢して試着します。
似合うかどうかを確認する余裕は無い。
足が通ればそれで良し。
裾上げはしない。
これが基本である。

これでも随分ショック療法が効きまして、マシになった方なんですよ。
洋服屋が恐怖から、苦手くらいになりましたから。
洋服を買いに行くのが好きには永遠にならないと思うけど、短時間なら大丈夫くらいにはなりたいとは思う。

先は長そうである。

いつも洋服買いを付き合ってくれる友人に感謝である。
面白がられて連れまわされているだけだという事に気付いてないだけかもしれないが・・・まぁいいか。

2010年12月 1日 (水)

僕と うつ病、闘病記 弟はうつ病だったのか?を先生に聞く

病院に行ってきました。
弟が亡くなった話をしてきた。
弟がやる事全てがプレッシャーになるから止めてもらいと思っていると先生に報告してから3日後に弟が亡くなり、ひどい兄だと自分を責めてます とも話した。
僕は今は元気で、気持ちも大丈夫だけど、今もしガクンと落ち込むような事になったらと思うと怖いので、薬が重くなっても構わないと話したんだけど、今安定しているので、薬を変えるのはリスクが高いからと、今までと同じ薬を処方されました。
朝:セルシン2mg、アキネトン1mg
夜:セルシン2mg、アキネトン1mg、ピーゼットシー4mg、セレネース3mg です。

僕は落ち着いているので、弟の後を追って死にたくなったりはしないし、一人になると泣いたりしてるけど、少しすると気持ちも落ち着くので大丈夫です。
大丈夫だと思う・・・
たぶん。
それよりも、家族の状態が心配なのと、弟についてどうしても聞きたい事があった。
それは弟はうつ病だったのか? という事。
と聞いてみたんだけど、そうとは言い切れないという返事だった。
自殺する人の7割が、うつ病や分裂症など(その他にも2つ3つ病名が出たけど思い出せない)になっていたという統計があるそうで、それは僕も知っていた。
では弟は何かの病気だったのか? という事ですが、もちろんそれは分からないそうです。
ただ、あれだけ明るくふるまい、家事をこなし、活動的に動き、あれだけしっかりした遺書を書くのは、うつ病のひどい状態だったとしたら無理だろうという話だった。
僕も経験があるから良く分かるんだけど、死ぬことで頭が一杯になっている時に、それは無理だと思う。
だから弟がうつ病だった可能性はあまり無いようです。
僕と似たDNAを弟も持っているわけだから、僕と同じ妄想的な感じがあった可能性は高くて、自殺の原因となった傷が人よりも強烈に植え付けられたんじゃないか?という話でした。
もしどこかの精神科で治療を受けていたらまた違った事になっていたかもしれないから、残念だ と言っていた。
でも弟は、僕らに病気の話は絶対にしなかっただろうし、実際にしなかった。
自分から病院に行く事もなかったわけだから、僕達はどうする事もできなかったと、母と話をしました。
それと、弟が死んだ自殺方法を選ぶ人は、助かったとしても、また同じ事をするそうです。
遺書を部屋で見つけてから、弟の死亡推定時刻まで3時間あったが、そこでもし、弟を見つけて、その時は助けられたとしても、近いうちにまた、同じ方法で死のうとしただろうとも言ってた。
だから、僕達はどうすることもできなかっただろうっていうのが先生の考え。

死ぬ事を夏ごろから逆算して、行動に出ていたわけだし、それだけ楽になりたかったのだろうって先生言ってた。
それは僕も同じ考えで、弟が楽になって良かったと思ってますとは言ったんだ。
後は姉と母が心配だが、母は僕が一日中一緒にいるから大丈夫だと思う、それよりも姉が心配だと話しをした。
姉のメールに「消えたい」という一文があった事を先生は気にしていて、1月になっても消えたいと考えているならば、病院に連れてくるようにと言われる。
泣くのはしょうがないとしても、2ヶ月以上死にたいと考えるような場合、それはうつ病だと見るのが常識で、悪化する前に早めに病院に来たほうが良いという考えらしい。
後は他にも色々と喋ったような気がするけど、泣きながら話をしていたし、何を言ったのか?言われたのか?良く覚えてない。
どうする事もできなかった という事と 弟は楽になったんだ という事は良く分かった。
頑張らないとね。
僕がしっかりしないと!!

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