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2011年1月20日 (木)

僕と うつ病、闘病記 AKIRA関連の遺品整理

弟の遺品整理は“ほぼ”終わったと書きました。
完全に終わってないのには訳があります。
大量のフィギュア、雑誌などが残っているのです。
ほとんどが大友克洋のAKIRA関連の物です。
2畳ほどのスペースがダンボールの山で占領されるくらいの量のフィギュアがあります。
そのダンボール一つ一つに、弟が手書きで、どういう物で、どういう背景がある物で、どれくらいの価値があるのか?の説明と、オークションの出し方が書かれています。

一枚一枚自分が10年かけて集めたお宝を、手放す方法を書く作業は、遺書を書くよりも辛かったのかもしれません。

もう、売ってほしいのか? 可能なら家に飾って欲しいのか? 本当の価値が分かる人に譲ってほしいのか? 聞く事はできないので、どうしたらよいのか、正直わからないです。
遺族、特に僕の気持ちでは、手元に置いておきたいだろうと思うので、一つも売らずに、全て家で保管する事にしました。

AKIRAの原画や、大友克洋直筆のラフスケッチ、アメリカ限定発売のトレーディングカードや、ガチャガチャのミニフィギュアをコンプリートした物など、かなりのお宝がありました。
それらは用意した本棚に入れることができたのですが、問題は雑誌関連。

「暗室に保管し、傷、黄ばみ、日焼けは無し」などの説明が書かれた物は、本当に貴重な物なんだと思う。
書籍関連は棚に入りきらない事もあり、開けずにそのままダンボールのまま保管しているのですが、これをどうしたものか?
もう一つ本棚を買ってきて、そこに並べる事も出来ます。
出来ますが、暗室で保管する必要があるような、貴重な物を、普通に並べてしまって良いものか?

弟に聞けるなら聞いてみたいものです。
「飾らずに暗室に保管」って言うのは目に見えてますが、それは弟が生きてる間の話、今こうなってしまったいじょう、どうにかしないといけません。
ダンボールの数にして10個、大きさにして半畳ほどの山が残ってしまって、困っています。

それと、フィギュアには一つひとつに説明書きが書かれていると言いましたが、これとフィギュア、雑誌がバラバラになってしまうと、もう素人の僕達にはどれがどれやら分からない状態になってしまいます。
小さいシールを買ってきて、番号をふり、フィギュアと説明書きに同じ数字のシールを貼って保管する事にしました。

僕が死ぬ時の数十年後にこれらのフィギュアをどうするか?となった時がくるわけですが、売る事にした場合の為に、説明書きが必要だからです。
別にお金が欲しいわけではありませんが、ただで譲ってしまうと本当に価値の分かる人の所にお宝が行かない事が考えられるからです。

また、違う考え方もあります。
全てのお宝を燃やすという方法です。
その灰を、僕の骨の納骨時に墓を開けた時に、弟の骨壷にこの灰を入れてくれと、僕の遺書に書いておき、灰は僕が生前に用意しておくという方法。
本来だったら、AKIRAの漫画などは棺桶に入れて、一緒に燃やしたかったのですが、プラスチックや、雑誌はNGと言われてしまったので、諦めた経緯があるからです。
自分の大好きだったお宝と一緒に眠る事ができるならば、弟も喜んでくれるのではないか? そういう発想が浮かんだのです。

売るにしても、燃やすにしても、急いで結論を出す必要はありません。
当面は大事に保管してやろうと思います。

一つのフィギュアに対し、一つのダンボールを作り、中もクッションを作り、隙間が無くなるような仕切りを作る作業は、そうとう大変だったはずです。
何度ダンボールをもらいにスーパーに出かけ、何十時間かけて箱を一つずつ作っていったのか?
逆算すると、遅くても夏には死ぬ事を決めて準備を始めていたようです。
お宝も価値の分からない僕達に売る事を託すのも不自然なわけですよね。
逆算し、自分でも売る作業はしていたはずです。
弟のブログにある写真を見ると、半分くらいは売る事ができたようです。
でも、全てが売れる前に時間が無くなってしまった。
それで、しょうがなく、実家にお宝を持ち帰ってきたのだと思います。
もっと言うと、31で弟は亡くなりましたが、20代の内に死ぬつもりだったはずです。
だらだらと生きながらえてしまいましたが と書かれてましたから。
もっともっと話をするべきでした。
後悔ばかりです。

また例外無く、泣きながらの作業になってしまいましたが、これでまた少し前進です。
今回は自分のコレクションを見てもらって弟が笑っているような気がしました。
僕も大友克洋が好きだし、多少の知識があるので、次の箱からは何が出てくるのか?とワクワクしながら作業をしました。
同時に、弟にはもう会えないのだという事実もつきつけられて、フィギュアをお披露目するお祭りのような、遺書を読み返しているような、複雑な心境でした。

弟は笑ってくれてると思います。
70%くらいしか価値が分からない僕ですが(母は10%くらいw)コレクションを見てくれて喜んでいるはずです。

前回の闘病記で、弟が楽になったように、自分も楽になりたいと書き、心配されている方もいるかもしれませんが、行動に出るような事は無いと思います。
また死なないように頑張りますね。

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