« 2010年12月 | トップページ | 2011年2月 »

2011年1月の20件の記事

2011年1月30日 (日)

ブブ彦日記 アトピー体質との戦い

20110130ブブ彦の4大疾患。
・耳のマラセチア菌
・首のヘルニア
・脱腸
・お腹周りのアトピー

このアトピーを何とかしようと、噂に聞く「どくだみ療法」をやってみようという事になった。
どくだみを煎じて、その汁を患部に塗るだけ。
どくだみは夏に咲く植物なので、そこいらで摘んでくるわけにはいきません。
お茶屋?で買ってきて、紅茶のように、お湯で戻して使う事にした。

一日1~2回塗っているのですが、効果は微妙。
気持ち赤い湿疹が少なくなったかな?ってくらい。
どくだみ汁が薄いのかと、濃いめを作って今塗っている所ですが、あまり変わらないような感じ。

副作用はまったく無さそうだし、舐めても平気なので、少し気長に塗ったのですが・・・
ダメでした。
痒みだけでも取れれば、随分と楽になれると思うのですが・・・効果ナシ。

次に「よもぎ」を煎じて塗ってみたんです。
よもぎも効果があるって聞いたので・・・
こちらもダメでした。
肌の表面が痒いのではなく、内臓から来ているような感じ。
ドッグフードを変えたら、背中にできるじゅくじゅくした部分が出来なくなったので、やはり食事から来ているのかもしれません。

病院によると原因はかなりの数考えられ、それを一つ一つ試して消去法で原因を探すしかないようです。
前にちょっと見てもらったら、一月で2万円病院代がかかったので、そんな金は出せません。
そして、いつ原因が分かるかも分からないし、分かっても一生薬を飲ませ続けることになるでしょうから、金銭的に厳しい。

あの病院、腕は良いのだろうけど、高いんだよね・・・・
安いところだと、原因不明だと言われるし・・・・
どうしたもんか・・・・

2011年1月28日 (金)

車は道具、走ればそれでヨシ

車を車検に出していたんですけどね。
洗車されて返って来ました。
そういえば、前回洗車したのは、前回の車検の時に洗ってもらったきりかもしれん。
2年?3年?洗ってない事になる。

基本的に僕は「車は走ればそれでいい」って人なので、汚れていても全く気になりません。
この寒い中洗車しようとは思わないし、夏だって暑い中洗車しようとは思わない。
走ってくれればそれで良いのです。

ちょっと窓の辺りにコケ?が生えてきていて、緑色になっていたんですけど、それもキレイにしてくれてました。

車は道具っていう感覚だと思います。
自分の部屋のように飾る必要も感じません。
車好きな人や、車を使う仕事をしている人に言わせると「信じられない」らしいのですが、走ればいいんですよ、車は。

否、汚れた状態で車検に出すのは恥ずかしいだろう って事でしょうか?
それも無いんだよね。
どうせ洗ってくれるし、それに甘えちゃおうって考えでして・・・・

今後もよほどの事がないと洗車はしないと思います。
いいのか?これで?

2011年1月27日 (木)

僕と うつ病、闘病記 弟のブログに書き込みをしtました

弟のブログに弟が亡くなった事を書きました。
僕が2006年の初めに「ブログをやらないか?」と弟に言った事が始まりなので、IDやパスワードは僕も知っていたという経緯があります。

弟のブログに関係の無い僕が書き込みをするのはルール違反かと思っていたのですが、連絡が欲しいなどのコメントが11月から書き込まれていたので、どうするべきかずっと悩んでいました。

しかし、ずっと常連さん達のよびかけを無視し続けるのは失礼だとうという事で、書くことにしたのです。
自殺とは書かずに「11月8日に永眠しました」とだけ書き、常連さんに感謝の言葉を書きました。

すぐに常連さんからコメントがあり、皆驚いてました。
この前家にお線香をあげに来てくれたMさんと同じように、アパートに寄ったり、イベントに行ったりして楽しく過ごした人もいまいした。

そういう友達が沢山いたのに、死を選ぶっていう事はどういう事なのか?
分からなくなってしまった。
かけがえの無い付き合いをしている人達との関係を断ち切ってでも死なないといけないのだろうか?

それほど苦しかったという事なんだろうけど、常連さん達の顔や家族の顔は浮かばなかったのかな?
浮かばないはずはないけど、それでも死を選んだんだろうな。

弟とMさんの共通の知り合いの方が2人いて、その人たちにMさんから電話で連絡をしたそうです。
やはりお線香をあげに行きたいと言ってくれているそうです。

亡くなったと聞いても、それっきり連絡を取らなくても別にいいわけですが、それを家まで来てくれて、お線香をあげさせてくださいと言うのは、本当の友達だからです。
それほどの友人達がたくさんいたのに、なぜ自殺してしまったのだろう。

何とかして助けられる方法は無かったのか?
考えてもしょうがないし、もうどうにもならないし、意味が無いし、これ以上辛い思いをさせたくはないので、亡くなったのはしょうがないという結論にいつも行き着くのですが、それでも、もし という考えは頭から離れません。

2011年1月25日 (火)

僕と うつ病、闘病記 弟の親友のMさんが来てくれた

弟の東京での親友のMさんが、我が家にやってきました。
横浜から来てくれました。
弟は東京で10年以上生活し、その様子は田舎にいる我々には分かりようもなかったのですが、その様子を話してくれました。

月に1~2度は会って、食べ歩きや、フィギュアを見に行ったり、映画を見に行ったりと楽しくやっていた事を聞かせてくれました。
なんでも弟が計画を立ててくれて、お任せ状態だったという。
僕達が東京に出た時も弟はそうしてくれていたので、想像はつく。
そうやって、周りをおもてなしするのが大好きで、Mさんの結婚が決まった時も、ヨロイヅカでサプライズのケーキを用意をしてくれたと言っていた。
弟らしいと思った。

6月にフィギュアの予約を入れて、秋にそれをキャンセルしていた事も聞かされました。
7月に家に10万円送ってきた事から、6月にはまだ生きる気力があったようだが、7月には覚悟を決めてしまっていたと思われる。
Mさんのような親友がいても、自分が苦しんでいる話はできなかったようだ。
いつも笑っている顔しか見たことが無いと言っていたので、本当に弱い所を誰にも見せずに逝ってしまったのだ。
Mさんも弟は一度決めたらもう変更はしないだろうと、良く弟の性格を理解していて、泣きながらも、弟の意思を尊重している様子。
食事が終わると、弟のフィギュアを見せてもらいたいと、すぐに言ってきたので、2階に案内する。
母の部屋の額縁に飾ってある謎のミュージシャンは、ニルバーナかもしれないとMさんは言っていた。
ニルバーナの映画もMさんと見に行っているようで、最後は自殺してしまう映画らしいのだが、弟はどんな気持ちでそれを見たのだろう?

僕の部屋に移動し、フィギュアをじっくりと見るMさん。
30分以上は本棚の前にいただろうか?
欲しいフィギュアがあったら何でもいいから持っていってというと、タクシードライバーのデニーロを選んだ。
AKIRA関連の物ではないが、弟と買いに行き、思い入れがあるという。
その他に同じものが2つある金田を一つあげて、あとフィギュアの師匠のKさんにも渡したいというので、金田のバイクを選んだ。
その3つのフィギュアを渡し、1階に移動、お土産にトシ・ヨロイヅカの焼き菓子を買ってきてくれたので、それを弟と一緒に食べる。
ケーキが好きだという事は知っているから、わざわざトシ・ヨロイヅカまで行って並んで買ってきてくれたと思うと、なんでこんなに良い親友がいてくれたのに、逝ってしまったんだ?という思いがこみ上げてくる。

最後にMさんが正座をして、弟の事は一生忘れませんとか、フィギュアを大切にするとか言うもんだから、Mさん、僕、Pちゃん、トモ子珍の4人して大泣きしてしまった。
なかなかあれほどの挨拶はできないと思う。
2時間半くらいの短い滞在だったが、東京の貴重な話を聞けて本当に良かった。
弟も今日は喜んでいると思う。

Mさんは弟の死を聞かされてから2週間しかたってなく、今が一番辛い時期だと思うが、家族もいるし、頑張っていけると思う。
最後にMさんと握手をして「お互い頑張ろう」と言って別れた。
我がY家も再出発で頑張らないといけないねという話をしながら家に帰ってきた。

一日中泣いていて、頭が痛いが、気分はまた随分と楽になったような気がする。
弟が東京で孤独じゃなくて、本当に良かった。
Mさんには本当に感謝である。
Mさんとアドレスを交換してあるので、フィギュアの事が聞きたければ聞けると思うし、お互い苦しんでいるならば、その相談にものれると思う。
また少し前進した感覚があります。

また頑張ります。

2011年1月23日 (日)

起きたら鼻血が出てきた

僕は絶対に鼻血が出ない人だったのですが、最近はたまにでます。
今朝はちょっと鼻をほじったら、ダラダラ血が出ました。
最近は、これは鼻水じゃなくて、血だと分かるようにもなりました。
血の方が勢いがあって、サラサラしているから、すぐにティッシュを取り、受け止める用意をします。
これがね、嬉しいんですよ。
サッカーで顔面ブロックしたとしても、鼻血は出ないくらいだったのに、最近は出てくれる。

人の血を見るのは嫌だけど、自分の血を見るのは好き。

なんだろう。
「ほれ見ろ、バチが当たった」というような、戒めのような気になる。

別に何か悪い事をしたわけではありませんが、「ざまーみろ」的な考えが浮かぶんですよね。
あまり誉められた発想ではないけれど、浮かんでしまうのだからしょーがない。

小学生の頃は、何もしてないのに、鼻血が出てしまうような子いたよなぁ。
あそこまでなるとまずいけど、鼻血がでると嬉しいんですよ。

2011年1月22日 (土)

あぁ、食い道楽 ローソンのロールケーキ3種を食べ比べ

元祖コンビニロールケーキの火付け役。
ローソンのロールケーキを食べました。
プレーンと苺味とチョコ味。
プレーンが一番旨かったです。

苺味は、生地がパサパサしていたね。
苺味にする際に必要な犠牲だったのでしょうか?
プレーンほど人気が無いから売れ残りだったのでしょうか?
もうちょっとシットリしていると、いいんだけどなぁ。

チョコ味は、良くも悪くも、想像どおりの味。
コンビニスイーツはこんな物かなというレベルでした。

プレーンはやはり上品で、フワフワで美味しかったですよ。
ブンブンとローソンのロールケーキしか食べ比べた事が無いけれど、甲乙付けがたいです。

ブンブンは生地が香ばしく、カスタードも入ってるので、濃厚。
ローソンはシンプルで、優しい味。
何個もいける感じです。

関係無いけど、ローソンのプレミアムティラミスは、超絶旨しですよ。

2011年1月21日 (金)

接待ベイブレード、屈辱と喜び

ベイブレードって人気あるじゃないですか。
それをやる機会があったので、飛びついて「やらせてくれ」と言いました。
現代版ベーゴマですが、糸を巻いたりする必要はないので、楽ちん。
それで独楽にも色々な形があって、どれを使うか、どうカスタマイズするかで頭を悩ませます。
対戦相手は小学2年生だったのですが、完全に手加減して相手をされました。
もう接待ゴルフですよ。
わざと負けてくれて、何度も勝たせてもらって。
「本気は出さない」を連呼されたので、屈辱でしたが(笑)

最初はバトルが行われる、闘技場?ステージ?リング?にすらベイブレードを置く事が出来ずに苦労しました。
あとは思いっきり引っ張っても壊れないんだという感覚を得るまでに時間がかかったり・・・

何か独特な掛け声で、勝負をスタートさせるのは知ってるが、何と言うかは知らない。
ここはもう開き直って「せーの」で始めさせてもらいバトルしました。
何も分からないオジサンだと思ってか、小学2年生なりに否定はされませんでした。

そこまで気遣いされて、勝負も勝たせてもらって、なんだかなぁって感じですが、面白かったのは事実。
学校では「こうすると強くなる」というノウハウの情報交換が盛んに行われているらしく、学校から帰ってくるなり、独楽のカスタマイズを始めてました。
ハマるのも良く分かります。
楽しかった。

2011年1月20日 (木)

僕と うつ病、闘病記 AKIRA関連の遺品整理

弟の遺品整理は“ほぼ”終わったと書きました。
完全に終わってないのには訳があります。
大量のフィギュア、雑誌などが残っているのです。
ほとんどが大友克洋のAKIRA関連の物です。
2畳ほどのスペースがダンボールの山で占領されるくらいの量のフィギュアがあります。
そのダンボール一つ一つに、弟が手書きで、どういう物で、どういう背景がある物で、どれくらいの価値があるのか?の説明と、オークションの出し方が書かれています。

一枚一枚自分が10年かけて集めたお宝を、手放す方法を書く作業は、遺書を書くよりも辛かったのかもしれません。

もう、売ってほしいのか? 可能なら家に飾って欲しいのか? 本当の価値が分かる人に譲ってほしいのか? 聞く事はできないので、どうしたらよいのか、正直わからないです。
遺族、特に僕の気持ちでは、手元に置いておきたいだろうと思うので、一つも売らずに、全て家で保管する事にしました。

AKIRAの原画や、大友克洋直筆のラフスケッチ、アメリカ限定発売のトレーディングカードや、ガチャガチャのミニフィギュアをコンプリートした物など、かなりのお宝がありました。
それらは用意した本棚に入れることができたのですが、問題は雑誌関連。

「暗室に保管し、傷、黄ばみ、日焼けは無し」などの説明が書かれた物は、本当に貴重な物なんだと思う。
書籍関連は棚に入りきらない事もあり、開けずにそのままダンボールのまま保管しているのですが、これをどうしたものか?
もう一つ本棚を買ってきて、そこに並べる事も出来ます。
出来ますが、暗室で保管する必要があるような、貴重な物を、普通に並べてしまって良いものか?

弟に聞けるなら聞いてみたいものです。
「飾らずに暗室に保管」って言うのは目に見えてますが、それは弟が生きてる間の話、今こうなってしまったいじょう、どうにかしないといけません。
ダンボールの数にして10個、大きさにして半畳ほどの山が残ってしまって、困っています。

それと、フィギュアには一つひとつに説明書きが書かれていると言いましたが、これとフィギュア、雑誌がバラバラになってしまうと、もう素人の僕達にはどれがどれやら分からない状態になってしまいます。
小さいシールを買ってきて、番号をふり、フィギュアと説明書きに同じ数字のシールを貼って保管する事にしました。

僕が死ぬ時の数十年後にこれらのフィギュアをどうするか?となった時がくるわけですが、売る事にした場合の為に、説明書きが必要だからです。
別にお金が欲しいわけではありませんが、ただで譲ってしまうと本当に価値の分かる人の所にお宝が行かない事が考えられるからです。

また、違う考え方もあります。
全てのお宝を燃やすという方法です。
その灰を、僕の骨の納骨時に墓を開けた時に、弟の骨壷にこの灰を入れてくれと、僕の遺書に書いておき、灰は僕が生前に用意しておくという方法。
本来だったら、AKIRAの漫画などは棺桶に入れて、一緒に燃やしたかったのですが、プラスチックや、雑誌はNGと言われてしまったので、諦めた経緯があるからです。
自分の大好きだったお宝と一緒に眠る事ができるならば、弟も喜んでくれるのではないか? そういう発想が浮かんだのです。

売るにしても、燃やすにしても、急いで結論を出す必要はありません。
当面は大事に保管してやろうと思います。

一つのフィギュアに対し、一つのダンボールを作り、中もクッションを作り、隙間が無くなるような仕切りを作る作業は、そうとう大変だったはずです。
何度ダンボールをもらいにスーパーに出かけ、何十時間かけて箱を一つずつ作っていったのか?
逆算すると、遅くても夏には死ぬ事を決めて準備を始めていたようです。
お宝も価値の分からない僕達に売る事を託すのも不自然なわけですよね。
逆算し、自分でも売る作業はしていたはずです。
弟のブログにある写真を見ると、半分くらいは売る事ができたようです。
でも、全てが売れる前に時間が無くなってしまった。
それで、しょうがなく、実家にお宝を持ち帰ってきたのだと思います。
もっと言うと、31で弟は亡くなりましたが、20代の内に死ぬつもりだったはずです。
だらだらと生きながらえてしまいましたが と書かれてましたから。
もっともっと話をするべきでした。
後悔ばかりです。

また例外無く、泣きながらの作業になってしまいましたが、これでまた少し前進です。
今回は自分のコレクションを見てもらって弟が笑っているような気がしました。
僕も大友克洋が好きだし、多少の知識があるので、次の箱からは何が出てくるのか?とワクワクしながら作業をしました。
同時に、弟にはもう会えないのだという事実もつきつけられて、フィギュアをお披露目するお祭りのような、遺書を読み返しているような、複雑な心境でした。

弟は笑ってくれてると思います。
70%くらいしか価値が分からない僕ですが(母は10%くらいw)コレクションを見てくれて喜んでいるはずです。

前回の闘病記で、弟が楽になったように、自分も楽になりたいと書き、心配されている方もいるかもしれませんが、行動に出るような事は無いと思います。
また死なないように頑張りますね。

2011年1月19日 (水)

あぁ、食い道楽 豚肉の西京焼きを体験した

急に友人にランチに誘われ、外出してきました。
こんな僕を引っ張り出してくれて、ありがたいことです。
久々に会う友人と楽しい話をして、充電してきました。

ランチメニューの豚肉の西京焼きを頼む。
西京焼き好きなんす。
もっと厳密に言うと、僕は西京焼きを作る白味噌を、指ですくって舐めるのが好きという、キワモノである。
白味噌をパンにピーナッツバターのように塗って食べたいくらい好きなのである。

魚の西京焼きは食べた事がありますが、豚肉の西京焼きは未体験。
豚肉の甘さと白味噌の甘みが相まって、美味でした。

そういや旅行番組なんかを見ていると、牛肉を甘くした赤味噌と一緒に焼いて食べたりする宿がたまにありますね。
焼肉に醤油や塩は相性がいいのですから、味噌でも旨いのかも。
こんど家で焼肉をやる時があったら、味噌をつけてみるか。
味噌汁を作る普通の味噌だから、これはちょっと合わない・・・となるかもしれないが。

あるいは西京焼き自体を作ってしまうか。
1センチくらいの厚さに切った肉に、白味噌を塗りたくって、1日くらい冷蔵庫で放置すればいいわけでしょ?
今度やってみるか。
で、白味噌が余って、冷蔵庫の中に居座り、コレどうすんのよ?みたいな事を言われるんだな。

ま、色々と妄想は膨らみますが、引きこもりを連れ出してくれた友人には感謝です。
ホント、「ありがたい」が口癖ですよ。

2011年1月18日 (火)

僕と うつ病、闘病記 薬が増えました。

病院に行ってきました。
弟の分も生きると誓ったばかりだというのに、最近は死にたくなってきています。
弟は楽になったはずなので、自分も楽になりたいからだと先生に伝える。
先生は死んで楽になるとは限らないよ と言う。
それじゃぁ弟は今も苦しんでいる事になってしまうので、それは無いと思ったが、僕に死んでほしくないからそう言ったのだと思う。
薬は種類は同じなのですが、量が増えました。
安定剤を増やそうとか先生言っていたかな。

朝:セルシン2mg、アキネトン1mg、ピーゼットシー4mg、セレネース3mg
夜:セルシン2mg、アキネトン1mg、ピーゼットシー4mg、セレネース3mg

同じのを2回です。

死なないように頑張ります。

2011年1月16日 (日)

僕と うつ病、闘病記 弟の部屋を使うことにしました

弟の2度目の月命日が過ぎ、初めて弟の部屋のドアを閉めてみました。
やっぱりダメです。
何か得体の知れない恐怖心に襲われます。
ドアを閉めると、弟が帰ってきて亡くなるまでの2週間、夜部屋にこもって遺書を書いていた事を想像してしまうからです。

遺品整理をしたので、テーブルは無くなり、布団もなくなり、ほぼ何もなくなった部屋なんですが、ドアを閉めるのはダメ。

この部屋は、母が寝室に使うようにしました。
それで良いと思います。
遺族が亡くなった人の部屋をそのままにしておくっていうのは、TVなんかで良く見ますが、うちは部屋をスッキリさせて利用する事にしました。
家が狭いからっていうのもありますが、部屋を使わないで、弟がいた状態にしていても、前に進めないような気がするので。

母が寝室として使うようになり、ドアは閉めるようになるでしょうが、そうなってからなら、閉められても大丈夫になるような気がします。
(僕が先に寝るし、僕が後に起きるので、ドアが閉まっているのをまだ見ていません)

弟が家に持ち帰ってきていた謎のミュージシャン(ジョンレノンのようだが、タトゥーが入っていて、ちょっと別人ぽい)のポスターもそのまま飾る事にしました。
弟の部屋に12時で止まっていた時計も、使うようにして、また動き出しました。
弟が最後に家を出る時に時計を12時に合わせて、電池を抜き、止めた時計です。
正装して最後の格好に着替え、この作業をしている様子が目に浮かぶので、この時計を見るのが辛かったのです。
こうして時計が動き出す事が、家族の再スタートの象徴のように見え、涙が出てきました。

母は、弟が亡くなった11月8日から、毎日1時間おきに目が覚め、熟睡できなかったのですが、弟の部屋で寝るようになった途端に、ぐっすり眠れるようになったそうです。
49日はとっくに過ぎてるし、何か墓参りをしたとか、何かお供えしたわけではありません。
寝る場所が弟の部屋になっただけです。
あの部屋にいると、何か弟と一緒にいるような、安心感があるそうです。

とりあえず母が眠れるようになっただけでも、また前進したような気がします。
部屋を母の部屋に作り変えて本当に良かったと思います。

また死なないように頑張ります。

2011年1月15日 (土)

デジ物コバナシ スマートフォン勢力、急拡大 お年寄りとは思われたくない

スマートフォンの昨年12月の国内販売台数が携帯電話全体の半分にのぼったことが、わかりました。
昨年前半は携帯全体に占めるスマートフォンの割合は1~2割だったが、秋以降に急伸し、11月は約36%、12月は約48%に達した。

2015年には、日本人が持つ全携帯でもスマートフォンが半数を超える事になるようです。
つまり、次携帯を買い換える人は、ほとんどの人がスマートフォンにするって事です。

若者、ビジネスマンはスマートフォン、らくらくフォンを使うようなお年寄りは今までの折りたたみ携帯を使うというように分かれそうですな。

僕の周りでもスマートフォンが目立つようになってきたし、僕も次買い換える時はスマートフォンにするつもりです。
新しい物好きですし、お年寄りだと思われたくないという心理も働いています・・・・

ただ、今の携帯がだいぶ頑張りそうな予感があるので、トイレに落とさない限り、あと2年くらいは、今の折りたたみ携帯を使う事になりそう。

フリック入力してみてぇ~

2011年1月12日 (水)

僕と うつ病、闘病記 弟の一番のお宝を送りました

弟が亡くなり、部屋を見ていた時にある物に目が行く。
大きなダンボールが部屋の目立つ場所に置かれ、宛名とあて先が書かれている。
これを自分の死後、送ってほしいという事らしい。
弟が作った「金田のバイク」だと思った。
先日弟の遺品整理をする際に、その箱を開けてみたのだが、入っていたのは、やはり「金田のバイク」
フィギュアだけで40~50センチくらい長さがあるだろうか?
かなり大きいが、細かい部分まで作りこまれている。
手書きの解説書によると、オークションに出せば、最低価格10万でも行けるとあった。
これだけの物を自分で作れる技術、センス、知識があるのなら、死ぬ前にフィギュアの世界で勝負できなかったのだろうか?
そういう世界で食べていけるのは一握りの人だけだろうし、厳しい世界なのは想像がつくけど、死を選ぶ前に、やるだけやってみようと思えなかったのだろうか?
そういう職探しはしたのかもしれないし、やってみたけど無理だったのかもしれないし、そんな素人が作ったレベルでは通用しなかったのかもしれないが、可能性の話で、「もし」を考えてしまう。


一昨日の夜は母から、フィギュアを送る相手の人(Mさんとする)と電話して、弟が亡くなった事やフィギュアを送った事などを伝えたのだが、Mさんも、驚いていて、泣いてしまっていたらしい。

昨日の夜、Mさんから母の携帯に電話がかかってきた。
無事、フィギュアを受け取ったという内容。
届いたフィギュアは一生大事にすると言ってくれ、弟とのエピソードをいくつか聞かせてくれたようだ。
Mさんの結婚や、お子さんが生まれた時などは、弟からお祝いを贈ったりもしていたらしく、一番の友人だったそうだ。
こんど奥さんと子供を連れて、線香をあげに来てくれるという話も出たらしい。
真面目で礼儀正しくて、一番の友人だったというMさんにも、自分の弱い所は一切見せずに、逝ってしまった弟。
結局、家族にもMさんにも何も言わずに、常に明るく、気遣いして、周りを和ませる事ばかりで、弟は逝ってしまった。


Mさんとの電話の後、母と弟の話になって、誰か一人にでも弱い部分、ダメな自分をさらけ出せたら、こんな事にはなってなかっただろうと話した。
人に弱みを見せないのは、強いんじゃなくて、弱いからなんだと思った。
プライドなんだか、気遣いなんだか、分からないが、そんなの何の得にもならない。
そんなんで死んでしまったら、どうしようもないし、残された周りだって、後悔ばかりでボロボロになってしまう。

毎日のように泣いているし、一日中弟の事を考えてるし、この様子を、弟はどこかから見ているんだろうか?
どう思ってるんだろう?
フィギュアが無事、Mさんに届いた事は喜んでくれていると思う。


僕は生きないとね。
また死なないようにがんばります。

2011年1月10日 (月)

あぁ、食い道楽 深海魚系の揚げ餅

鏡開きしたような乾燥させた餅を油で揚げると、かき餅のようにサクサク、カリカリになります。
それに醤油をかけて食べる事が母は大好きなんです。
僕は硬くて食べられないのです。
いや歯はありますし、お爺ちゃんでもそれくらいは食べられます。
でも、わざわざカッチカチの餅を食べる意味が分からないのです。

代わりに僕が好きなのは、つきたての柔らかい餅を油で揚げた物です。
なんだい、どっちもあげ餅じゃん と思うなかれ。
これも醤油で食べるんだけどね。
油を吸い、デロデロ膨らんだ餅は、ブクブクで油ギトギトで、はっきり言うと胸焼けします。
家族は誰もこの旨さを理解していません。

焼餅よりも柔らかく、ジュ~スィ~で、幸せになれますよ。
後で胸焼けする事に目をつむれば。

紅白の餅で作ると、深海魚が陸に上がって、浮き袋が口から飛び出しちゃった系の、グロテスクな見た目になる、柔揚げ餅ですが、旨いので、つきたて餅があったら是非試してみてください。

胸焼けしても、自己責任でお願いします。

2011年1月 9日 (日)

僕と うつ病、闘病記 遺品整理をやりました

弟の部屋の遺品整理をしました。
弟が亡くなってから、バタバタしていた事もあり、部屋には全く手をつけていない状態でした。
49日法要が終わり、年が明けたら、部屋を整理しようと決めていたのですが、気乗りしません。
また、遺書のようなショッキングな物が出てくる可能性があるからです。

朝布団の中で目が覚めても、起き上がりたくないのですが、隣の部屋で音がしていて、もう整理が始まっている様子。
仕方なく作業に加わりました。

開けてないダンボールには、沢山のフィギュアやコレクションが入っている様子。
数箱だけ開けてみたのですが、全ての物に、オークションに出したときの相場と、商品の価値が分かるような説明書きが書かれているようです。
もう自分が死ぬ事は決めて茨城に帰ってきているので、これらのダンボールは開けずにそのまま部屋の隅に積んでありました。
ダンボールの中にある説明書きは、自分が死んだ後、残された者に遺品の処分方法を書いていた物になります。
どんな気持ちで、東京でコレを書いて、荷造りしていたのでしょう・・・

遺書に自分が存在しなかったかのようにしてほしいのか?散骨してくれとか書かれているくらいなので、遺品も全て処分してほしいのかもしれません。
着る事のできない洋服などは、残していてもしょうがないので処分できるのですが、このフィギュアのコレクションはどうしたら良いのか分かりません。

どれほどの希少価値があるのか、簡単に分かるからです。
見る人が見たら、喉から手が出る程のお宝ばかりなはずです。
弟は食費を削って金を作り、集めていった貴重なコレクションたち。
全ての品に説明書きと、希望価格が書かれているわけですが、これをオークションに出して遺品を残すなという意味なのか?
少しでも罪滅ぼしをしようと、金の足しにしてほしいのか?
本当に価値がわかる、愛好家に売るべきなのか? 分かりません。
もう、考えても答えは出ないのですが、本来、自分が死ななければ手放したくない物ばかりだろう という話になり、コレクションは売らない事にしました。

膨大な量のコレクションをしまう、ショーケースが無いので、どう保存するかが問題ですが、そこはこれから考えます。

布団、衣類、小物、生活用品などは全て処分する事になっています。
普段身に着けていたアクセサリなどは、姉と相談し、欲しいなら使ってやろうと思います。

弟が亡くなったのが、いまだに信じられないところがあるのですが、遺品整理は現実を突きつけられる作業。
正直、この作業は辛かったです。
頭が回らなくなり、両親だけがキビキビと“いる物”“いらない物”を仕分けていきますが、僕だけ部屋の隅に立っているだけで、何も出来ませんでした。
やっぱり僕はうつ病なんだなと思いました。
追い込まれると何も考えられなくなって、動けなくなる。
両親もそれを理解してくれているのか、何もしない僕を責める事なく、作業が進みました。

月命日なので、またケーキを買ってきて、弟の前にお供えしたのですが、母が「こんなお供えじゃなくて一緒に食べたかった」と言い出して、大声で泣き始めました。
「弟は一緒に食べてる時は嬉しいだろうけど、すぐに現実を突きつけられて、生きてる事が辛くなる。 もう弟は楽になったんだから、喜んであげようよ」と母に話しをして、少し落ち着かせました。

母に限らず、ちょっとしたきっかけで、涙が出てくるけど、遺品を整理して、また少しだけ前進したような気がします。
こうやってちょっとずつ、死を受け入れ、立ち上がるしかないのでしょうね。

また、死なないように頑張ります。

2011年1月 8日 (土)

デジ物コバナシ 15歳のメールスピード

15歳の親戚の子とメル友になりました。
以前会ったのは10年も前。
まだ幼稚園児だったのに、久々に会ったら、制服を着て、今年受験だという。
で、アドレスを教えあって、試しに送信テストをするというので、様子を見ていたら・・・・・
とんでもなく打つのが早い!!
早いなんてもんじゃない。
もう何やってるか理解できない。
画面に表示される前に次の操作をしているようなスピード。
こっちが3文字入力する時間に、1通打ち終わってるらしいです。
無事送信テストも終わり、解散してから一日1往復くらいのやり取りをしているのですが・・・

言葉についていくのに精一杯です。
ため口は全然OKなんです。
親戚だし、その人懐っこさがいいのですから。
ただ単語単語の意味がかろうじて分かる程度の難易度なのです。
おそらく、分かりやすい言葉を使ってくれてるんだと思うんだけど、それでもむずい・・・・

超亀亀です → レス遅くなっちゃってごめん みたいな感じ。
ヒエログリフを解読していくような、暗号を解いているような感覚になります。

倍以上生きてるオッサンと中学生の奇妙なやり取りは続くのです。
言葉って世代、地域でこうも違うのか・・・・

2011年1月 6日 (木)

「うえす」とは何ぞや

「うえす」を取ってくれとかいう会話が、両親の間で交わされた。
何だ?うえすとは?
方言のような響きもあるし、英語のような響きでもある。
おそらく前者だと思ったのだが・・・・
「餓え巣」とか、「上酢」とかそんな感じの純和風なイメージもある。
一方、ウエハースやウェスタンなどの英語なイメージもある。
「何だい?うえすとは?」と聞いてみたら、物を拭く物だという。
意味が分からない。
方言の可能性もあるので、ネットで調べてみた。

ウエスは、Waste(英語ウエスト:無駄・くず・ぼろ・廃棄物)から、訛ってウエスと呼ばれるようになったらしく。
古着や古布を再利用して雑巾がわりにするものである
とネットで調べたら書かれていた。

Pちゃんのボロボロになったタンクトップとかが、車のオイルを拭くような時に使われたりするが、あれがウエスだったのか・・・・
なんかどうも、茨城の一部でしか使われていない方言のような印象が強い言葉で、あまり使いたいとは思わないのだが、そうですか英語ですか。

英語の知識で60近い両親に負けるのは悔しいが、知らなかったんだから、しょうがない。

着なくなったTシャツを使うのは抵抗があるんだけどな。
なんか嫌じゃないですか・・・?
着なくなった物とはいえ、洋服で、汚い所を拭くのって。
ボロタオルとかを使うのは全然OKだと思います。

うえす、うえす、うえす。
また一つ賢くなりました。
使いたいとは思わないけど・・・

2011年1月 4日 (火)

僕と うつ病、闘病記 お墓に供えてあった風車を見て

弟の墓参りに行ってきました。
お寺に着くまで片道2時間もかかりますが、弟は成田が大好きだったから、これでいいんだと思います。

お寺に着き、我がY家の墓に行くまでに他のお墓を見たのですが、新しい花が供えてあるお墓が多いんですよね。
正月に墓参りをするという話は、僕は聞いた事がなかったので、驚いたんですけど、九州出身の大伯父ちゃんは正月に墓参りする習慣があるらしい。
近所に住む両親の友人も墓参りに行ってきたと、帰りに偶然会った時に話していました。
そういうものなのかと、いい勉強になりました。
確かに正月に墓参りをすると、何か良い事をしたような、ちゃんと身内に挨拶をするような、清々しい気分になります。
めでたいお正月だから、お墓はちょっと・・・という僕の考えは間違っていたようです。


母は、墓を前にして泣いていましたが、線香をあげ、墓を掃除して帰ろうとした時にある物を目にしました。
お墓に風車が飾ってあって、それが風で回っているのです。
お墓を見てみたら、1歳の子が亡くなったようです。
1歳という事は、生まれてすぐではなく、歩き出したような時期に亡くなったという事。
一番可愛い時期に子供を亡くしたご両親はどんな気持ちだったのだろうか?
僕の弟は31のオッサンだし、自分で結論を出した結果が自殺だったわけだけど、1歳で亡くなった子は、もっと生きたかっただろうし、ご両親ももっともっと生きてほしかったはず。
あの風車を見ていたら、我が家よりも辛い人は沢山いるんだと考えないといけないねという話になりました。
泣いてる場合じゃないねという話になりました。

帰りの車の中で読書家の母が言い出しました。
最近読んでいる何冊かの本で、立て続けに自殺の話が出てくると。
今まで自殺の話を読んでも気にならなかったのかもしれないし、たまたま自殺の本に巡り合ってしまったのかもしれないけど、毎年3万人以上の人が自殺していて、その数は殺人事件の比じゃないわけです。
ドラマを見れば、○○殺人事件といった人が死なない話の方がはるかに少ない現状ですが、実際の日本をリアルに描写するならば、自殺の話は避けては通れないのかもしれません。

つまり、風車の話も、母の読む本に自殺の話が多く出てくるのも、同じ事を言っていて、辛い思いをしている遺族は、相当な数いるわけで、自分達だけが悲劇の中心にいるような考えはやめよう という事です。
みんな表立って遺族だとは言わないけれど、辛い思いをしている人は沢山いるわけです。
皆どん底の悲しみから立ち上がり生きているのだから、自分達にもできないわけはないはずです。
手探りで、元気に笑って過ごす方法を探しているような状態ですが、きっと僕達にも出来るはずですよね?

また、死なないように頑張ります。

2011年1月 3日 (月)

僕と うつ病、闘病記 検死室の臭いが忘れられない

明日成田に行き、弟の墓参りに行ってきます。
早いもので、もうすぐ弟が亡くなってから2月がたつんですね。
まだまだ気持ちの整理はつきませんが、弟に会ってきて、何か話かけてこようと思います。

今日は、検死室の消毒?薬品?の臭いを思い出してしまって、吐き気に襲われました。
瑛太がヴォイスっていうドラマで法医学ゼミに所属する役をやってましたが、役作りの為に、本物の検死室を見学させてもらうのをTVで見たことがあります。
瑛太もあの臭いが強烈すぎて、長時間その部屋には入っていられず、すこし話を聞いただけで出て行ってしまったのですが、あの時は、どんな臭いなんだろうって思っていたっけな。
まさか弟が亡くなって、その臭いを嗅ぐ事になるとは思ってもいなかった。
薬品の臭いなのか? 遺体の臭いを消す為の物で、それが部屋に染み付いてしまったのか? 何の臭いかはわかりようもありませんが、あの臭いだけは忘れられません。
2度と嗅ぎたくない臭いです。

今日は一日中寝ていたのですが、弟がまた夢に出てきました。
かれこれ6回目くらいでしょうか?
何をしていたかは分かりませんが、僕と2人で何か作業をしていました。
今日見た夢では、何事も無かったかのように会話をしていました。
前回弟には、何かハッとするような、なるほどとうなるような、何か指摘をされたんですが、起きたらもう忘れてました。
そういう言葉こそ、覚えてないといけないのですが、弟の姿ばかりを追ってしまって、言葉はいつも忘れてしまいます。
夢に出てくる度に、弟が笑顔になっているような気がします。
墓に入り、爺ちゃんと一緒になって、やっと負い目も劣等感も感じない日々がおくれるようになったのかもしれません。
全ての苦しみから解放されて、今楽になっているのなら、僕はそれでいいと思います。

成田は成田山があるので、とんでもない人の数だと思います。
婆ちゃんの所にも顔を出したいけど、婆ちゃんは成田山のすぐ近くに住んでいるので、明日は物理的に会うのは無理。
なので会う事は諦め、2月に行った時に顔を見せようと思います。
すぐ近くまで行っているのに、婆ちゃんに顔を見せずに、成田に行く事も伏せて墓参りをする事が、後ろめたい気持ちになりますが、場所が成田で、正月に行くのだからしょうがない。
ごめんね婆ちゃん。
婆ちゃん孝行は来月します。

弟に先を越されてしまって、僕は死ぬ事ができなくなってしまったわけですが、死にたいとも思わなくなりました。
弟の遺体の前で、弟の分も生きるって誓ったのが大きいんだと思います。
ちょっと2階の自室にこもると、母が心配するような状態ですが、僕は死んだりしないので、ご安心を・・・・
また、頑張ります。

2011年1月 1日 (土)

あぁ、食い道楽 座布団を食べるという幸せ

今年もよろしくであります。
今日は牛の「ざぶとん」と呼ばれる部位の刺身をいただきました。
1頭の牛から数キロしか取れない希少部位だそうです。
霜降り肉です。
相当高いらしいです。
それをもらってしまい、刺身で食べてみろと言われたので、それを実践してみたわけです。

味は肉というより、大トロ。
甘く、舌の上でとろけます。
焼肉にすると霜降り肉は脂がしつこくなりますが、これは体温で脂が優しく溶けて、肉を更に柔らかくする感じ。
わさび醤油で食べたのですが、これが大正解。
塩ではダメだと思います。
わさびが肉の脂っぽさを打ち消してくれて、肉の味だけをシンプルに堪能できます。

しかし、いくら高いと言っても、いくら希少部位だといっても、いくらそこいらの店では食べられないものでも、いくら旨くても、10キレが限界でした。
大トロの寿司だけを食べ続ける事ができないように、このざぶとんも食べ続けるのは辛くなってきました。
ざぶとんの塊の半分以上は刺身で食べましたが、残りは焼肉にします。

あれだけの肉をもう食べられない程食べたのは、最高の贅沢です。
肉好きがいたら涙を流して食べるような物なんだと思う。
普通なら数キレだけ食べて、もっと食べたいけど予算が無いから、諦めるって形でしょうから。

お節などのおめでたい系の料理は出てこない正月ですが、元日からいい思いをさせてもらいました。

もうもらう事もできないような物らしいので、おねだりするわけにもいきませんが、最大級の誉め言葉で感想とありがとうと伝えたいと思います。
多分、弟の一件があったからこそ、この高いお肉を届けてくれたんだと思います。
本当にありがたい事です。
何かしらの形で恩返しがしたいけど、自分には何もできません。
何か出来ないかといつも考えるんですけどね。
元気な姿を見せるしかないのかな?

いやぁ~、すごい肉を食べさせてもらいました。

« 2010年12月 | トップページ | 2011年2月 »