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2011年5月 5日 (木)

僕と うつ病、闘病記 ぶん殴ってやりたい

弟の位牌の前に毎日ご飯を用意する。
朝と晩2回である。
コンビニでスイーツを買ってくる時も、弟の分も一つ余計に買ってくる。

でもね・・・・
食べないんですよ、一口も。
遺影の代わりに飾った、沢山の弟の写真は、どれも最高の笑顔。
でも、どんなに好きだった物を用意しても、一口も食べないんです。

食べたいのに食べられないのか?
死後の世界など無くて、もう存在すらしてないのか?
それは分からないけれど、一口も食べないのが頭にきてね。
手間かけて用意した食事も、特別な場所のスイーツを用意しても、半日もしたら、カサカサに乾燥しちゃって・・・
それを三角コーナーに捨てる瞬間がたまらなく辛い。
怒りと同時に、悲しい。

バラバラだった家族が一致団結して再生していくようなドラマチックな展開など無い。
みんな口に出さなくなっただけだ。
辛い、苦しい、自分も死にたい。
それを口に出さなくなってきているだけだ。
みんなそれぞれ自分に責任があると思っていて、先日は母が自分の育て方が悪かったからだと、小さな声で言っていた。

家族で一番年下の小僧が何やらかしてんだよ。
どれだけの人が今も苦しんでいると思ってるんだ。
どれだけの人が巻き込まれて、どれだけの人が振り回されるのか、どれだけの人が傷つくのか?分かっていて死んだのか?

本当に死なないといけない程の事だったのか?
結局、お前は逃げたんだよ。
戦わずにして逃げたんだよ。
その代償で残された人だけが苦しむ。
おかしいだろ?それって。
一発ぶん殴ってやりたい。

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僕 と うつ病、 闘病記」カテゴリの記事

コメント

まさ爺さんの弟をおもう優しさが
悲しみに繋がってしまう

僕はまさ爺さんの優しさが好きだから
これ以上悲しむなとは言えません

そばで感じてあげることしか出来ません
感じてあげるフリをすることしか出来ません

まさ爺さん

いつかぶん殴ってやりましょうよ
でもそれはいつかで良いとおもいます

ね?

もし、弟が生き返って目の前に現れたとしても、僕が死んで、あの世で弟に会えたとしても、殴れないと思います。
抱きしめて、「救えなかった、ごめん」って謝るのが精一杯だと思います。
昨日は怒りモードだったのに、今日は悲しいモードです。

ご飯以外は御位牌に弟君用に供えるのではなく一度上げて程良き時に一緒に食べたらいいんじゃないかな 弟のモノは兄のモノくらいのジャイアニズムでね
死に向き合うのは必要なんだろうけれど 三角コーナーで何度も喪失を体感するのはこたえるよ
怒って縋って繰り返し泣いたらいつか いつかじいが 自分 を赦せる受け入れられるのかな なれたらいいな

お供えした物は、少し置いて、下げちゃって良いとは聞いた事があります。
お供えした物を、一緒に食べてあげるのも供養になるらしいですね。
でも、下げてしまうのが可哀想で、どうもそれが出来ないんですよね。
なるべく下げるように努力してみます。

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