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2012年9月 5日 (水)

トラベル・レポート 館山海軍航空隊赤山地下壕跡

20120905南房総に小旅行に来ているわけですが、館山海軍航空隊赤山地下壕跡に来てみました。
母が閉所恐怖症で、TVで洞窟探検などを見ようものなら、「あたしは絶対に無理」と必ず同じ事を言うのです。

だから、どこか観光地は無いか探した時にこの地下壕を発見したのですが、黙っていたのです。
しかし、ネットでこの防空壕を見つけた母が行くと言うではないですか。
驚きましたが、本人が行きたいのだkら、きっと大丈夫なのでしょう。
ナビですぐに見つかり到着。
受付でヘルメットと懐中電灯を渡される。
予想外の重装備で、これからどんな所に潜り込むのか不安が。

防空壕入り口の看板にこの穴の説明が。
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館山海軍航空隊赤山地下壕跡は,全長約1.6㎞と全国的にみても大規模な防空壕で,館山市を代表する戦争遺跡です

建設時期については,1930年代半ば頃に,工事がはじめられたとする説もありますが,このような大規模な地下壕が,1941(昭和16)年の太平洋戦争開戦以前につくられた例はないとされます。また,当時の軍部が本格的に防空壕をつくりはじめたのは,1942(昭和17)年以降であるという歴史的な事実もあります。

当時,全国各地に建設された大規模な地下壕の壕と壕の間隔は,一般的には10~20m以上(長野市松代大本営象山壕は25m)であるとされていますが,この地下壕は5~10mと間隔が狭くなっています。

また,この地下壕の建設に携わった旧館山海軍航空隊兵士の複数の証言から,1944(昭和19)年以降に建設工事が開始されたことや,1945(昭和20)年8月15日の終戦の日まで工事が行われ,未完成であること等が明らかになってきています。

館山海軍航空隊赤山地下壕が,防空壕として建設され,かつ一部が使用されていたことは,防衛庁防衛研究所所蔵の「館山航空基地次期戦備施設計画位置図」の赤山地下壕の位置に,「館空自力発電所」,「工作科格納庫」,「館空応急治療所」という記載があることや,内部にある発電施設跡,終戦間際にこの壕の中で実際に館山海軍航空隊の事務を行った,あるいは,病院施設があったなどの証言から,知ることができます。
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とある。
とりあえず、この中で自害する人や、敵が進入してきて多くの人が亡くなったというような事は無さそう。
この説明を読んだからか、恐れることなく防空壕に入りました。

やばいです。
ヒンヤリしていて、電灯の明かりで薄明るいのですが、先が見えないほど深くて複雑に穴が彫ってある。
順路の看板と、迷子にならないように、行ってはいけない道にはフェンスがはられているのですが、どこまで続くのか分からない、穴の中を進むのは、精神的に来るものがあります。
そして、フェンスの向こう側の真っ暗闇の方角に、何かがいるような気配が。
僕は霊感ゼロですが、いますよここ。
冷たくて、なにか悲しいような雰囲気が漂ってるんですもん。

暗闇なので、写真を撮ってもピンボケするので、あまり撮りませんでしたが、何も映ってませんでした。
全て気のせいだったという事にしよう。

普通の防空壕だと思うなかれ、広々とした地下空間が広がります。
肝だめしや冷やかしで行く場所じゃないですし、幽霊はいないと思います。
こういう物を作らせる戦争というものを考えさせられますね。
予想を超える規模の防空壕に、驚きと考えさせられること間違いなし。
行く事をオススメします。

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コメント

色んな所に戦争の爪跡があるのですねぇ~

ウチの母は大阪大空襲で家を焼かれ焼夷弾が落ちる中を逃げたそうです。その為、花火は空襲を思い出すので好きではないそうです。冬物を着て逃げたので夏までずっとそのままで食べる物にも苦労して“ホタルの墓”並みの経験をした様です。先日亡くなった叔母も空襲で缶詰工場が焼けてそこの缶詰を食べたそうなのですが とても美味しかったらしい。叔母がよく話してくれました。
祖父や叔父、戦争体験者の話をもっと沢山聞いておけば良かった。
因みに父は空襲のない奈良に居たので比較的ノンキに暮らしていた様です。でも勿論当時は奈良と京都には空襲が無いなんて情報は入って来なかったらしいです。

終戦後 母はアメリカ人にチョコレートをもらったそうです。give-me-chocolateって言わなくても貰えたそうですよ(^w^)


世界中から戦争がなくなります様に…

戦時中の貴重な話が聞けてうらやましいです。

僕の爺ちゃんは、戦争に連れ出されて、戦場で、転んだそうです。その瞬間、隣にいた仲間が撃たれて死んだそうです。
あの時、爺ちゃんが転んでなかったら、死んでいただろうって言ってました。
転ばなかったら、僕はココにいないわけです。
足の膝あたりに、爆弾?のかけらが入っていて、取り除かないまま亡くなってしまいました。
父と一緒に爺ちゃんの骨を拾う時に、その金属片を探したのですが、見当たりませんでした。

戦争は無くならないんでしょうね。
歴史から何も学んでない。
人間は愚かな生き物ですよ。

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