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2013年5月31日 (金)

トラベル・レポート 龍馬の生まれた町散策

20130531四国岡山旅行に来ているわけですが、まだ1日目です。

山内神社から車で5分の場所に、龍馬の生まれた町記念館という所がある。
そこに車を停めて、近所を散策するのですが、記念館の駐車場ですから、タダでそこに停めるのは気が引ける。
そこで記念館に入り、入場料だけ払って、駐車場代とさせてもらいました。
この界隈にはコインパーキングが無くて、あっても遠くなので、散策には都合が悪かったのです。
駐車だけに利用してしまいましたが、記念館のスタッフは嫌な顔をする事もありませんでした。
感謝。

さて、散策すると言っても、また石碑巡りである。
まずは坂本龍馬誕生地。
坂本家があった場所に碑が建っています。
写真がその碑です。
大きいですね。
坂本家の敷地は、東西25m、南北70mくらいの広さがあったそうで、豪商の子として龍馬は誕生します。
下士の家ではあるけれど、上士の侍よりも良い暮らしをしていて、引け目を感じる事は他の下士よりも少なかったはずです。
それでも上士には絶対的に逆らえないわけですから、矛盾や憤りを感じて育ったはず。
上士と下士の住む場所は別々になっていて、お堀を挟んで交わる事はありません。
そのお堀まで100mほどの距離に坂本家は建っていました。

次なる石碑は、水丁場。
龍馬誕生地から、南へ250mの場所に建っています。
土佐藩が、城下町へ水害が及ばないように、鏡川を整備するための治水工事を行い、1622年に「水丁場之事」という法令を布告。
川沿いに12ヵ所の水丁場を設け、堤防を洪水から守るため、武士と町人が協力して水防にあたるという組織を作った。
この辺りは坂本龍馬が14才~19才まで剣の修行をした場でもあります。
通っていた日根野道場があった詳しい場所は今では分からないのですが、この近所だったとされています。

次なる場所は旧築屋敷。
水丁場の碑から、南へ50m程の距離です。
町民が竹やぶを切り拓き、自力で石垣を築いた。
辺り一帯、石垣がある家が並び、なんだかお金持ちの家っぽい。
実際お金持ちなのでしょうけど。
龍馬が通った日根野道場はこの辺りだったという説もあります。
水丁場から50mの距離ですから、同じ事を言っているのだと思います。

次なる場所は、河田小龍塾跡です。
旧築屋敷から、西に100mほどの距離です。
水天宮というお社が建っているのですが、その付近だったといいます。
水天宮の周りを少し歩いてみましたが、石碑などはありませんでした。
河田小龍は、1852年米国より帰国したジョン万次郎の取り調べに当たった。
万次郎を自宅に寄宿させ、起居を共にしながら、万次郎に読み書きを教えつつ、小龍自身も英語を学ぶ。
小龍は、異国の生活事情に啓発され、日本の現状との落差に驚く。
小龍は、万次郎の語った事に挿絵を加えて漂巽紀畧五巻として藩主に献上した。
親交のあった医師・岡上樹庵の妻が、坂本龍馬の姉・乙女であったことから、小龍は龍馬に外国の大船を買い荷物を積み海洋に乗り出し、貿易によって異国に追いつく事が日本のとるべき道だと龍馬に説きました。

次なる場所は、近藤長次郎邸跡です。
河田小龍塾跡から、北へ200m。
饅頭屋長次郎という名前で覚えている方も多いと思いますが、その名の通り、饅頭屋さんの息子です。
町人ですが、志が高く、龍馬と一緒に神戸海軍操練所に入りました。
龍馬と共に海援隊の前身である亀山社中を設立した人物です。

次なる場所は、才谷屋跡地。
近藤長次郎邸跡から、西に100mです。
才谷屋は坂本家の本家で、1666年に質屋を始め、後に酒屋や諸品売買業へと商いを拡大。
現在、才谷屋の跡を明確にすることはできないが、この場所に喫茶店才谷屋が建っている。
龍馬が偽名とて、才谷梅太郎を名乗っていたが、この才谷は、本家才谷屋から取ったもの。

ぐるっと周ってくるようなコース取りで、何処も徒歩で周れる距離。
全ての場所が後の龍馬を形成すうる要素になっていて、必然のように存在する事が面白かった。
やっぱり旅は歩かないとね。

明日は、初日の夕食です。
伝説の皿鉢料理を喰らいます。

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