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2013年5月27日 (月)

トラベル・レポート 旅の始まり 高知城

20130527四国岡山旅行に行ってきました。
3泊4日の小旅行であります。
数ヶ月前から、しおりを作り、計画を練ってきました。
四国旅行のツアーが新聞に載ってますが、行き先を見ると中身がスッカスカなんですよね。
有名所を周るのですが、四国4県を周る事、大型バスで周る事などから行ける所は限られていて、ただバスに乗って移動して終わってしまう印象。
四国に行った事がある人は、見所が少ないという感想になるそうなのですが、そんな事はありません。
かなり濃い旅になりました。
旅の行程を全て載せますが、かなり長い連載になりそうです。
気長に見てくれると嬉しいです。

まずは羽田空港から、高知龍馬空港へ。
空港にまで龍馬の名前が付くなんて、本当に龍馬の故郷に来たのだと実感。
レンタカーを借り、いざ高知市内へ。

最初の目的地は、高知城。
江戸時代に山内一豊によって建造されました。
天守や追手門等が残っているという、現存する12城の1つなので、貴重なお城です。
以前は国宝でしたが、昭和25年の文化財保護法によって、国の史跡に指定されました。

まず城の高さに驚きました。
小高い山の頂上に天守閣が見えます。
写真を見てもらうと分かるのですが、山の上に小さく天守閣が見えます
あまり城には詳しくないけれど、山の上に建つ城を見たことが無かったので、これにはビックリ。
堂々たる風格です。

追手門から中に入ると、順路という看板があって・・・という事は無く、好きなように歩き回ってくださいという感じ。
3方向くらいに道が分かれているが、一番正面の一番太い道を進む。
すると板垣退助の銅像を発見。
自由民権運動で有名な人で、亡くなる前に「板垣死すとも自由は死せず」と語った事は有名。
板垣死すとも、まさ爺は進む・・・・
くだらない事を書いてないで、先を急ぎます。
予定での高知城の滞在時間は1時間15分
この時間は絶対に守らないといけません。
なにせ5分間隔で予定を立てているのですから。

石垣が立派で驚きました。
江戸城、弘前城、二条城、萩城、福井城くらいしか見たことが無かったのですが、全て平城ですから、こういうお城は初めてです。
山の上という地形を利用したとしても、何段、何層にもなって石垣が積まれているので、迫力満点。
コレ作るの苦労しただろうなぁ。

石段を登って行くと、天守に到着。
元国宝という重みからか、足を踏み入れるのはちょっと緊張。
ハリが低くて、頭をぶつけそうになります。
僕の身長は178cmなのですが、江戸時代の男性の平均身長は150cmだそうです。
150cmの人用に作られている城なので、下ばかり見ていると頭をぶつけます。

それと階段!
かなりの急勾配。
70度くらいの角度があります。
現代人は階段に対して、真っ直ぐに足を向けますが、それだと危ない。
足を斜め45度くらいにして、斜め向きで上ると良いような気がする。
もちろん手すりにつかまります。

天守閣最上階に何とか到着すると、東西南北に4つの出口が広がる。
一箇所から外あるベランダ?のような物(何て言うの?w)に出て行き、一周歩いた。
周りに天守閣より高い建物は無いが、結構高いビルが建ち並び、決して良い眺めとは言えない。
でも、龍馬の家のある方向を見たり、上士と下士の堺となったお堀の跡を探したり、鏡川に架かる橋を捜したりした。

山内一豊の像が何処にあるのか分からなかったのですが、時間が押してきたので、見つけられないまま、城を出る。
すると城を出てすぐの所に一豊の像を発見。
見つけられて良かったです。
一豊の像の下で、将棋を打っているお爺さん達がいました。
定年後の楽しみで、こうして木陰で将棋を打つというのは、家の外に出るし、頭を使うから呆け防止にもなり、とても良い事だと思いました。

その後、追手門から外に出て、50mほど直進すると、山内容堂の誕生地の碑がある。
山内容堂は土佐藩の最後の藩主。
酒ばかり飲んでいるが、頭は切れる人だったらしい。
気まぐれで、酒と詩を愛する人である。
誕生地はお城の隣と言っても良いくらいの距離なのですが、石碑を見に来る人はいないらしい。
石碑を見て喜ぶのですから、僕はマニアックな観光客ですよね。

そこから150mほど東に進むと吉田東洋の暗殺された場所の碑が建つ。
吉田東洋は、藩主山内容堂によって土佐藩の参政に抜擢される。
後藤象二郎や乾退助(のちの板垣退助)、岩崎弥太郎などの若手藩士に教授する・・・はずだったんだけど、石碑が無い。
予習の為、グーグルストリートビューでこの場所を見た時は、石碑を確認できたのに・・・・
どうやら現場一帯を大規模な工事をしているらしく、石碑は撤去されたそう。
張り紙が貼ってあり、石碑が撤去された事、その石碑は保存されている事、工事が終わったら、石碑を元の場所に戻す事などが書かれていた。
この場所で暗殺事件が起こり命を落としたのか・・・と思いを馳せるのが石碑巡りの醍醐味なので、石碑の有無はあまり関係ないのかも。

その後、100m程、お城に戻るように進み、武市半平太(または武市瑞山)の投獄されていた牢獄跡および武市半平太の切腹した場所の碑を見た。
武市半平太は、土佐勤王党の盟主。
坂本龍馬とは遠縁にあたる。
吉田東洋の暗殺指令を出したのが、半平太である。
後にその事が山内容堂の怒りに触れ、投獄され、切腹する。

全てがお城からすぐの場所で起こっていて、その位置関係を知ると、歴史が躍動感をもって動き出します。
歴史は面白い。

この日は日中27℃になり、夏日。
石碑巡りは、ジリジリと照りつける光を、直で受けるので、最初から疲れてしまった。
この後、あちこち歩く事になるのですが、果たして完遂できるだろうか?
心配になってきました。

明日は、注目の食事処で、鰹の塩たたきをいただきます。
お楽しみに。

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