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2013年6月 5日 (水)

トラベル・レポート 弓削神社、そのスリルあるたたずまい

20130605四国岡山旅行に行ってきたわけですが、2日目の後半です。
愛媛県に入り、次なる目的地に向います。

弓削(ゆげ)神社です。
小さくではありますが、旅行雑誌にも取り上げられる事から、普通の観光地だろうと思ったのですが、これが大間違い。
かなりスリリングな場所となりました。
何がスリリングかというと、まずナビも知らないマイナーなポイントだったという事。
たどり着けるか分からずに、知らない道を走るというのは、恐ろしい事です。
次のスリリングなポイントは、神社に向う山道が、恐ろしく狭い事。
対向車が来てしまったらどうしたら良いのか分からないほど狭いのです。
それにガードレールも無く、下は谷底とい感じなのですが、地元の人はどうしているのかなぁ。
まったく対向車に出会わなかったから、交通量に対して工事する価値が無いのでしょう。
次なるスリリングは、弓削神社最大の見所である、参道です。
池の中央に向って木の橋が架かっているのですが、古くて、ギシギシ言ってます。
板一枚だけの床なのですが、途中、グニャリと板がしなる所があって、池に落ちそうになりました。
橋には屋根が付いていて、かなり個性的な造りとなっています。
池に鯉が泳いでいて、非常食として買っておいた、バタースコッチをあげました。
人が来ない場所だけあって、鯉は餌を貰う事に慣れていないようでした。
参道が面白い橋だった事から、お社にも期待が膨らみますが、行ってみてガッカリ、なんと小さなお社でしょうか。
総じて、弓削神社は、行くのが大変、神社もショボショボで、行って失敗。
でも行けないで頭の中で美化するよりも、行って実態を知ったほう良いですよね。
「旅行は素晴らしい場所ばかりだったけど、弓削神社がねぇ」と笑い話になりました。

さて、また車がすれ違えない道を進み、なんとか下山します。
松山市内に入り、萬翠荘(ばんすいそう)に到着です。
萬翠荘は、1922年旧松山藩主の子孫にあたる久松定謨(さだこと)伯爵が、別邸として建設したもの。
フランス生活が長かった定謨伯爵好みの純フランス風の建物は、最高の社交の場として各界名士が集まり、皇族方がご来県の際は、必ず立ち寄られたそうな。
萬翠荘は戦禍を免れ、建築当時の様子をそのまま残す貴重な建築物として、1985年に愛媛県指定有形文化財となる。
その後、2011年に萬翠荘本館と管理人舎の2棟が国重要文化財に指定された。
萬翠荘の中は洋館のイメージそのもの。
特に目を引く物はありませんでしたが、見る人が見たら価値が分かるんだろうなぁ。
シャンデリアとか立派だったし。
萬翠荘の裏には、夏目漱石、正岡子規ゆかりの愚陀佛庵(ぐだぶつあん)があったのですが、2009年の土砂崩れにより全壊。
現在は跡地のみが残っています。
愚陀佛庵も見てみたかったなぁ。

その後、車で3分の距離にある、秋山兄弟誕生地に行きました。
日露戦争で多大な功績を残し、司馬遼太郎作の小説「坂の上の雲」の登場人物でもある秋山好古(よしふる)と、秋山真之(さねゆき)の生家を2005年に復元した物が建っています。
生家は江戸末期に建てられたもので、典型的な下級武士の家屋。
当時の家の、4部屋と土間と台所の質素な家に若干手を加えただけの物で、復元の際に家の設計図は無かったため、秋山家子孫の方から伝聞、親戚や、好古のご家族から聞き取り、調査及び当時の写真を参考にして建設したようです。
庭には当時の湧水を今に残す井戸など、在りし日の暮らしが再現されている。
・・・のですが、入場しなくても全て見れてしまいました。
復元された生家、好古、真之の銅像も入る事なく見れてしまい、入場料を払う事なく終了。
車窓からとは違い、一度車から降りて、門の前までは行ったのですが・・・何と言うか・・・その・・・ね。

弓削神社、萬翠荘、秋山兄弟誕生地と、まぁまぁな場所が続きました。
旅はまだ半分。
次は期待できる!?かな。

明日は、2日目夕食。
またもや酒を飲みます。
旨いのか、不味いのか。

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