“裏” あぜ道通信

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2013年6月 2日 (日)

トラベル・レポート 最後の清流四万十川(プチ)

20130602四国岡山旅行に来ているわけですが、2日目です。
1日目の行き先は全部高知市内でしたが、今日は移動と観光です。
高知県から北上し、愛媛県に向います。

最初の目的地は四万十川。
綺麗な清流と川に架かる沈下橋の風景は有名ですが、なんと高知市内から2時間半かかる事が判明。
5分刻みのスケジュールを組んでいる人に、往復5時間というのは、とんでもない時間で、とても行けないという事になりました。
そこで苦肉の策です。
高知から愛媛に向う峠にある、四万十川の上流を見ようと言うのです。
しかし、峠の道路と四万十川が交わるポイントは、カーナビでは検索できないし、前もって調べても、曖昧な場所しか分かりません。
道路を走っていると、○○橋、○○川という標識が建っていますが、それを見つけるしか方法が無いなという事になりました。
この辺りかなぁという所で、道の駅があり、そこで地元の人に四万十川の位置を教えてもらいます。
しかしこの教えてくれた人がいい加減のか、勘違いしているのか、走れど走れど教えてくれた場所は無く、四万十川は諦めるしかないなと思っていたら、目印になる郵便局を発見。
教えてもらった場所から、そうとうずれている場所に四万十川がありました。
さっそく車を停めて、四万十がを覗き込みます。
なんてことなかった・・・
沈下橋が架かっているような、下流の川幅は無く、山の中の小川といった感じで、川幅3mくらいでしょうか。
水はとても綺麗でしたけど。
とりあえずこれで、四万十川を見たと言う事ができます。
小川でも四万十川ですからね。

次なる目的地は、吉村虎太郎の像です。
これもカーナビには入っていないポイントで、これも見れなかったら潔く諦めるという事になっていました。
道を引き返したり、グルグル周る事は時間のロスになるので、できなかったのです。
そんなスケジュールを組むなよという感じもしますが、3泊4日で四国4県と岡山県を周るのですから、最初から無理があるのです。
またもや大体の場所をナビに入力して、近くに行ったら地元の人に道を聞こうという作戦です。
吉村虎太郎の像も地元の人に場所を聞いたのですが、これも微妙な案内でねぇ。
僕もそうですが、道を教える際に、そこまで信号が何個あるとか、自信を持って教えられません。
交差点の名前もほとんど知らないし。
だから地元の人を責める事はできません。
吉村虎太郎の像の小さな標識を見つけ、慌ててハンドルを切りました。
そこから少し中に入ると、車よりも高い高さの場所に「↑吉村虎太郎像」という看板を発見。
この看板が無かったら誰も見つけられないでしょうね。
かなり上に像があり、階段で登っていくので、車を運転していたら、通り過ぎてしまうでしょうね。
車を停めて、階段を登ります。
吉村虎太郎の像は、大きさはそんなにありませんが、姿が印象的。
刀を右手に持ち、地面に突きつけています。
そして風に髪と袴がなびいているのです。
吉村虎太郎は、土佐藩の出身。
土佐勤王党に加盟。
浪士蜂起計画に参加すべく脱藩するが、寺田屋事件で捕縛されて土佐に送還され投獄。
釈放後、再び京都へ上り天誅組を組織し挙兵するが、八月十八日の政変で情勢が一変して幕府軍の攻撃を受け敗れて戦死した。
辞世の句は 「吉野山 風に乱るる もみじ葉は 我が打つ太刀の 血煙と見よ」。
すごい句を作ったもんです。

石碑巡りと違って、銅像は分かりやすくて良いですね。
イメージが沸きやすい。
風になびいている像って珍しいと思うのですが、他にもこういう像ってあるのでしょうか?

移動と観光の両立は大変ですね。
強行スケジュールを組んだ自分が悪いのだけど・・・

明日は、龍馬脱藩の道を歩きます。
山道、小道、獣道。
果たして脱藩の道とは。

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