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2013年6月 3日 (月)

トラベル・レポート 龍馬脱藩の道

20130603四国岡山旅行に来ているわけですが、2日目です。
この日は高知県から愛媛県に入らないといけないので、峠越えがあります。
関東平野に住んでいる僕からすると、四国は土地が狭い。
海からわずかな土地があって、すぐ裏には山がそびえているという印象。
どこを見ても山ヤマやまです。
さて、ただ峠を越えるだけではありません。
ここは坂本龍馬が脱藩した時に通ったとされる道が残されていて、その道を歩む事ができるのです。

その前に、まずは維新の門へ向います。
これもナビでは大体の場所しか分からないので、旅の計画を作った僕はドキドキ。
責任という物がありますからね。
しおりに場所と解説が書かれていて、いかにも行けるという気持ちになりますから、行けなかった時の落胆がすごい。
維新の門は標識が沢山あって、比較的簡単に到着する事ができました。
維新の門と言う名前ですが、門は何処にも無く、8志士の銅像が建っています。
8志士は、那須俊平、坂本龍馬、澤村惣之丞、掛橋和泉、中平龍之介、吉村虎太郎、那須信吾、前田繁馬。
普通銅像というと、直立タイプだと思うのですが、この像は変わっています。
8志士が立っている像なわけですが、正面から見ると右側の3人は静。
左の4人が動、中央の1人が静となっている。
左の4人は、前のめりに走りこんで来て、今にも抜刀するような格好をしていて、迫力満点。
一方の静の方は直立タイプなのですが、ダビデ像のように、遠くを見つめています。
龍馬は右の静の方の中央に立っています。

坂本龍馬は、1862年3月24日に高知を発ち、翌25日に梼原に到着しました。
この梼原に維新の門があります。
その夜、梼原の勤王の志士である那須俊平、信吾父子の家に宿泊、26日に俊平、信吾の道案内により、澤村惣之丞とともに、偉業を夢見て脱藩しました。
梼原町からも吉村虎太郎、中平龍之助、前田繋馬が国境を越え、維新動乱の渦中に身を投じた。
また、家財を費やして志士を援助する掛橋和泉がいました。
龍馬脱藩から6年後、明治維新が起こり、近代国家が誕生しましたが、すでにこの8人の志士は、志半ばにして不遇な最後を遂げていす。

次に行ったのが、坂本龍馬脱藩の道。
維新の門に来るまでの通ってきた道と平行して蛇行するような感じで、何回も道路と脱藩の道は交わっているようです。
ただし、立て札などは建っていないので、どこにあるのか分かりませんでした。
維新の門を見に来たオジサンに脱藩の道を聞いたところ、すぐ近くにあるという事でした。
維新の門から1kmくらいの距離だったと思います。
三嶋神社という神社から脱藩の道に入る事ができるそうです。
三嶋神社の参道は、立派な橋になっていて、すぐに見つける事ができました。
脱藩の道も立て札が建っていて、すぐに分かりました。
脱藩の道は、木漏れ日が降り注ぎ、粛々としていました。
当時はこんなしっかりした道ではなくて、獣道だったはずです。
ちゃんとした道だと関所などがあるでしょうからね。
山の中、道なき道を、袴とワラジで必死に駆け抜けたはずです。
脱藩とは、相当な覚悟が必要だっただろうなぁ。

歴史は面白い。

明日は、内子の町並を散策。
熱いのをやせ我慢するオヤジさんが・・・

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