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2015年3月30日 (月)

テルテル坊主と雨乞い儀式のバランス

昨日の天気予報。
朝から日中は晴れ、夕方からどういう訳だか雨。
春のポカポカ陽気だった朝の散歩から一転、夜の散歩はブブ彦がびっしょりとなり、犬臭全開。
シャンプーしてやらないと、この犬のオイニーはドンドン獣のそれになってくのである。

感じるのは、雨と言う物は厄介者のような扱いを受けているよなぁという事である。
農家の人たちは雨に対する考え方が随分と違うのだと思うけど、一般人、特に町に住んでいる人にとっての雨と言う物は、やはり、厄介者な気がします。

僕は雨の日が好きだと公言してますが、それは自分が濡れない場所でヌクヌクしながら窓の外を眺めるのが好きだからという条件付き。
外に出るのは嫌なんです。

晴ればかりじゃ色々と問題が出てくるのは分かり切った事であって、「毎年今年は水不足で」と、水位が随分と下がってしまったダムの映像が流れたりするのを目にするのは、梅雨明け頃からか?
まだまだ数か月先。
でも、蛇口をひねれば水は出るし、特に毎年何とかなっちゃったりするもんです。

それでも雨は必要なわけでして、厄介者だけれども、週一くらいで降ってくれるのが理想なのかな。
降りすぎると痛んでしまう野菜もあるし、降らないと実らない果実もあったりする。
その辺りの絶妙な匙加減は神様は本当にいるんじゃないかと思うくらいに絶妙だったりするけれど、たまに雨の有難さを忘れた現代人に、天罰を下し、水と言う物を考えさせるまで降らなかったりする行動にでたりもする。

ある土地では水不足で、ある土地ではゲリラ豪雨が降ったりする。
雨乞いの儀式なんて、世界で見たら、まだやってる土地はあるだろうし、雨って必要なんですよね。
当たり前だけど。
でも濡れるのが嫌な物である。
こっちも当たり前だ。

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まさ爺のつぶやき」カテゴリの記事

コメント

地球温暖化が進むと冬が長くなりゲリラ豪雨が増えるそうです。スコールと言う生易しいものではないものね。昨年の夏に郊外でゲリラ豪雨を体験して川の水量があっという間に増し恐い経験をしました。都会に住んでいても地下街に水が流れ込んで来ると言う事もあります。
晴れと雨のバランスが良いのが一番だけど、雨乞いって儀式が昔からあると言う事は自然界はそうそうバランス良くいかないと言う事だよね。

淡路島に来ています。半ば無理矢理連行です。
温かいからとか桜が綺麗だからとか言われて連れ出されました。
そして帰り道。ポチは眠気に負けてサービスエリアで現在爆睡中。
温かくて風も気持ち良くて桜も菜の花もキレイだったよ。でも早くオウチに帰りたい…
バランスの悪い夫婦だわ。

そっちは楽しそうだなぁ。
僕もトランクでいいから、乗せてってもらいたいもんです。
お二人の完全にお邪魔ですが、いい子にしてますから。
茨城の桜は明日、明後日辺りが満開かなぁという感じです。
安全運転で帰ってきてくださいな。

帰宅しました。
旅の仲間はwelcomeです。マー坊が居てくれたらポチは大喜びだろうなぁ~

姫は一睡も出来ずポチの番犬の様になっておりました。
しかし淡路島に何十回と行ってるのに観光を殆どしてないんだよなぁ~
ちゃんと計画立ててくれる人が必要かも…

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