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2016年4月 5日 (火)

僕とうつ病、闘病記 静かなる闘い42 埋まらぬ溝

上手く書けるかどうか・・・・自信がありませんが、書きながら考えを整理していこうと思います。

先日のコメントに、P(父)は、死ぬのは弟じゃなくて、僕だったら良かったのに と考えた事があるのではないか?と書いた事の続きの話です。


いつも考えているとはさすがに思わないですが、考えた事はあるかもね っていうこれまた僕の勝手な想像です。
被害妄想的なこの考えが浮かぶのは、なぜか?


その前に弟がどういう人物だったか、あまり書いた事がありませんでしたね。
弟は僕の自慢の弟でした。
明るく、僕とは兄弟とは思えないイケメン、身長もとても高くて、頭の回転も速い。
ユーモアがあり、明るく社交的で友人が何人もいて、頻繁に連絡を取り合い、誘いあって一緒に出掛けたりしていました。
気遣いもしすぎるくらいにする人で、誕生日や何かの記念日は絶対に忘れず、必ず何かサプライズを用意するような人でした。
ファッションセンスも良くて、常にお洒落さんでした。
非常に美的センスがあって、アートやイラストや、前衛的な映画やアニメが好きで、僕とはとても話が合った。
料理も、僕より明らかに発想、味付け、盛り付け、どれを取っても僕よりセンスがありました。
そして、その弟は、Pの事をとても慕っていて、Pが行く所には付いていき、Pが日曜大工をやるときは、すすんで助手になっていました。
Pも弟を可愛がりました。


では僕はなぜPに懐かないのか?
僕が小学生の頃に、Pが起こした問題で、T珍(母)は離婚するしないで揉めた事があります。
Pは家族を捨てようとしたのです。
僕は子供ながらにPに聞きたかった。
「捨てる事になるのなら、何で僕を作ったんだ?」ってね。
「そんな半端な覚悟で子供を作ったのだとしたら、生まれてくる家庭を選べない子供はどうしたらいいのか?」と。


少し話がずれますが、この一件で、僕は自分がダメな子だから捨てられるのだ。と思うようになり、親の顔色を覗って生きるようになっていきます。
もう捨てられないように親に意見せず、ただただいい子でいようと。
ダメの刻印を押されないように、ビクビク仕事をするようになってしまったのも、自分が出来損ないだと思ううつ病の下地は、この時からできたのだと思っています。


話を戻します。
大人になってからT珍に聞かされた事だけど、この手の問題は何回も起こしていたらしく、T珍がどれほど辛い思いをしてきたか。
そういう事もあって、僕はT珍の味方でいたいと思うし、Pのしてきた事を許せずに今に至ります。
Pと会話はしますが、どこか僕は距離を置いています。
この溝は埋まらないんじゃないかと思っています。


っと言うわけで、P自身も、自分よりT珍と良く会話をしている僕を見ているので、まぁ、この先はどう思っているか分かりませんが、確実なのは、弟と僕は、Pに対する接し方が全然違うという事です。
Pもそれは分かっています。


弟は、Pが家族を捨てようとした事や、その他起こした問題を幼かったから記憶に無いのか?幼過ぎて事実を聞かされてなかったという事もあってか、弟はPの事が好きだったようです。
Pも当然、弟が可愛かったでしょう。


小学校の時の離婚問題の後、Pはこの手の問題を起こす事は無くなりました。
勤勉に働いてくれて、そこで稼いできた給料で我が家が成り立っている。
もう許すべきなのかもしれないし、感謝するべきなのかもしれないし、もっと労わるべきかもしれないし、もっと会話して、もっと心の内を話せるようになればいいのでしょうけど、未だに忘れられないと言うか、傷は癒えません。
恨んでいる気持ちがゼロになったとは言えません。


僕の病気が今よりももっともっと悪かった頃、Pにこの気持ちをぶつけた事があります。
なぜ僕を作った?と先ほどの気持ちを、20年思っていた事を全てぶちまけたのです。
自分を否定し、自分を責め、自信など持てるわけもなく生きてきたと。
おかげでうつ病になったとも。
僕がここまで20年間苦しんできた事をやっと知ったPは、事の重大さに気付き、僕に、心からの謝罪をしてくれました。


気持ちをぶちまけた事、Pの謝罪。
これで終わるはずでしたが、僕は20年も我慢し続けたのが悪かったのでしょう。
父親とどう接していいか分からないのです。
結局、弟のようには親しくなれないし、冷たく接するのも間違っている。
どうしたら良いか分からず、時間だけが過ぎています。


っと、理由はそれだけです。
それだけの事なのに、Pに対してひどすぎる言いがかりだと思います。
でも、どうしたら良い物か、分からないのです。


Pの父、福爺さんとPにも確執がありました。
成田に行っては必ず喧嘩になっていた事を覚えています。
取っ組み合いになったり、表に出ろだの、怒鳴り合っている様子は今もはっきりと覚えています。
でもPは福爺さんが亡くなる少し前、弱り切った福爺の世話を少ししたそうで、そこでわだかまりは全て無くなったと言っていました。
僕もそうなるのか?
時間が解決するかというと、30年経っても、癒えないのですから、無理な気がします。
親になるチャンスがあるのなら、Pの気持ちが分かるようになるのかな?
あるいはPが亡くなる時が来たら、Pと福爺さんの関係が清算されたように、僕もPを許す事ができるのか?


本題からだいぶずれてしまいましたね。
僕が死んだ方が、の話です。
この話を読んだら、だいたい分かるでしょうけど、懐いてくれる弟と、距離を置く僕ですからね。
ちょっと考えたりしたんじゃないかと・・・・・
全て僕の被害妄想ですけどね。

なんだかまとまりの無い文章ですが、父とはどうしたら良いか分からないのです。

今日もあぜ道通信に来てくれて、ありがとう。

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僕 と うつ病、 闘病記」カテゴリの記事

コメント

マー坊、こんばんみ。

麻酔銃の効果があまりありませんでした(>_<)
でも少し落ち着いたみたいです。
昨日のコメント、折角マルコビッチの記事を教えてもらったのに
全然触れてないね。ゴメンね🙇
やっぱり集中力がなかったみたいです…

マルコビッチのヌード…
あの人意外とお腹が出てたと思うんだけどなぁ~(笑)
でも見てみたいわぁ~
コンエアーの人形遊びの人、印象的ですよね
少ないシーンであれだけ印象に残せるなんて凄いと思うわぁ~
で、確かに何度も見てるんだけど
見るたびにニコラス・ケイジの髪には
驚くと言う(笑)
必ず「あ!毛ある‼」って口からでます

消えたら嫌だから一旦送信しますね
ポチ👆

Mちゃん、こんばんは。
体調悪いんだし、頭が回らないのは、良く分かる。
謝る必要なんて、ないのであります。

マルコビッチ アルバム ヌード などで検索しても、一枚もその考える人のポーズをとってるマルコビッチの写真が表示されない。
発売日まで極秘なのでしょう。

み、みたい・・・・

因みにヌードと検索ワードに入れてしまったので、世界中の方のヌードが表示されてしまい、大失敗でした(笑)

再びのこんばんみ。

夫婦のゴタゴタは色々あると思うけど
子供を不安にさせちゃあいけないよね
子供の頃って誰しも一度は本当に自分はこの家の子かな?
って考えに至る様な気がするんだ
親が冗談で「お前は橋の下で拾って来た」的な事を言うんですよ
今みたいに生れた瞬間からビデオに収める訳じゃないし
私なんて生まれて11日目が初めての写真で
寝てるとこだから誰だか解んないしね、余計に考えた
そんな中で親に捨てられるかも…って思った時の
心細さはなかったろうと思います。

自分の話ばかりで申し訳ないけど
父はガンの痛み止の副作用でせん妄状態になり
病室に鳩が来ただのネズミがいるだの言って時がありました。
病室にお見舞い客の女性が入って来ると
「あ、○○○や!」って姉の名前を叫びます

「お姉ちゃん違うよ」

「いや○○○や!何十年見てると思うねん
間違う訳がない」って。間違ってるんですけどね(>_<)

「ほら、あっちのベッドに行きはったやろ?お姉ちゃん違うで
お姉ちゃんに会いたいの?」と聞くと

「やっぱり○○○が一番可愛いんや」って言いました。

毎日毎日看病してる身にはちょっと辛いひと事でした。
まぁ私も随分大人になってたからちょっと辛いくらいですんだけど
小学生の時に言われてたらトラウマになってただろうな
つまり親の愛情が一番必要な時に捨てられるかも…って
思ったマー坊のココロの傷は経験した者でないと
計り知れないのかもしれない。

同じように生活してても親への印象が変わるだろうし
子供の(兄弟)の年令によっても受け取り方が違うんだろうね
やっぱりお姉ちゃんもお父さんの事はダメ?
無意識に男の子は弱い母親を守ろうとするので
余計にお父さんとの溝が深まっていくよね…

そうかぁ~
まだ許せないかぁ~
お父さんもまだ現役で働いてらっしゃるし
まだ無理かもね。
でも、もし体調を崩されたりした時は
やっぱりお世話してあげて欲しいな
それはお母さんの為でもあるような気がする
それが出来たらマー坊と言う器が一回り
大きくなる時なんじゃあないかな?

でも無理は禁物だし
私の戯言など気にしないでね…
でも、案外許すと自分が楽になる時もある。
人生の先輩より


再びのマー坊であります。
Pの起こした問題って書いてるけど、何をしたかは分かるでしょう?
常習犯だった事もそうだけど、最後に事件を起こした時(最後だと信じたい)のその離婚問題の時、とてもじゃないが、聞いてられないから、子供部屋に逃げようとしたんだよね。
そしたらT珍が、「ここにいなさい」と。
子供にもどういう父親か全部聞かせて理解させると。
それまでは、世界一仲の良い家族だと思っていたのに、それは両親の演技であって、実際は冷めきっていた、そして父親は裏切り続けていた。
子供部屋に逃げ込めない三姉弟のショックは凄まじいもので(恐らく弟だけ記憶は無い)、かずのすけは、ひきつけに近い?身体が硬直しちゃって危ない状況になるし、僕は本文に書いたような何で自分を作ったんだよ?ってなるわけです。
修羅場ってああいうのを言うんだろうなって思うんだけど、かずのすけとその時の話はした事がない。
話したくもないです。
まだ話せないですね。30年経ってるのに。

Pが起こした問題のやり方がかなりT珍を傷つけるやり方で、それが一番許せないのです。
本当に信じられない事をやらかしてくれてね。
人として最低のやり方でT珍を傷つけた。

因みに大人になり、子供たちが未だ消えない傷を負っていると分かるわけです。
T珍はあの時、子供部屋に行かせるべきだった。私の間違いだったと言っていました。

また、別の機会に、T珍と僕の2人きりの時に、「僕はPを一生許さない」と言った事があります。
するとT珍は、もう過ぎた事のように大昔の話だよ的な雰囲気で、許していると言ってました。
僕は、信じられない、T珍が一番辛かったし、何をされたか忘れたの?と聞いたんだけどね。
泣き寝入りじゃないか。 許してどうなるんだよ? 一生奴隷の様に働いて、一生かけて償わせればいいんだ。って僕は言ったんだけどね。
T珍は僕ら子供がいるから許すしかなかったのかな。
子供がいなかったらとっくに離婚したでしょう。
とにかく、許していると言ってました。

僕は他の家庭で同じような事件をやらかした夫(または妻)の話を何件か聞いた事があるのですが、やはり経済的な理由から離婚はせずに、夫婦を続けようとなったとします。
加害者が何の苦しみも無さそうにTVを見て笑っていたりするのを見ると、どうしようもない怒りがこみあげてくると言ってました。
こっちはまだ傷は癒えてないし忘れてもいないってね。
何笑ってんだよってね。思うわけです。
僕もまさにこれと同じなんです。
30年経った今でも、思う時があります。

弟のように幼過ぎるか、成人して、物事を多角的に見れるような時に起こした事件ならば良かったのかもしれません。
僕と姉は、一番ショックを受ける年齢だったのかも。
最初から喧嘩ばかりしている冷めきった本当の状態を見せられていたら、それはそれで辛かっただろうけど、仲がよさそうに演じてたなんてね・・・・ショック大きすぎたよ。

Mちゃんも辛い一言を言われたんだね。
それこそ、将志が死ねばよかったのにって言われるかのような事だもんね。
Pが痴呆になったら、きっと僕の事など無視をして、T(弟)はまだか?とか言いそうだなぁ。
あとはPが亡くなったとして、葬式で僕は涙が流れるかなぁ?とか考えたりする。

許したい気持ちもあるんだよね。
それはあるんです。
本当に良く働いてくれて、おかげさまで、経済的にはまぁ裕福とはいかないけれど、普通の生活はおくってこれたからね。
そこは感謝しないとって思ってる。

Pとは日常会話はするんだよ。
長話はしないけど、普通に話す。
自分でも分からないのだけど、これは許しているのか?演じてるのか?分からないのです。
何かを相談したりする事は無いね。
悲しい事だけどね。

Mちゃんの言うように、許す事ができたら、随分と楽になるだろうなぁと思う。
許すように努力するって言い方考え方がちょっとおかしいかもしれないけれども、そっちに向かっていきたいと思ってます。

アドバイスありがとね。
少し楽になったよ。

マサさん、Mさん.おはようさん

Mさん
眠れなくて、調子が悪い?
無理しないでねぇ

マサさん
そんな辛い過酷があったんだね。
お父さんの一言の件で、
マサさんが色々思う事があった理由が分かりました。

私も父とは確執があります。
良くある親子喧嘩かもしれませんが、
ショックを受けて日記に書いた事があります。
その日記を父親が読んで更に激昂です 笑

社会人になり、
父親が病気がちになって、
少し介護する様に成ったんです。
弱くなった父親と接していて、
この人も当時辛かったんだなぁ
はけ口が無くて、どうしようもなかったのかなぁ
なんて思える様に成ったんです。
そうしたら、許す⁉️受け入れられる様に成った
んです。

続きです。

なので、今は無理に許そうとか考えなくでも良い
とおもうのです。
Mさんが言った様に、お父さんが弱った時に、
マサさんがお世話したら何か変わるかもしれません。
葛藤がなくならなくても、
家族としてやるべき事はやったと
納得できると思います。

的外れなコメントしてたらゴメンなさい。

JJさん、おはよぉ~
実は僕も寝てません(笑)
筆が遅い事はたまにブログで書いてますが、Mちゃんのコメントからすぐに返信を書き始めたのに送信したのが2時間半後ですからね。
あの文章を書くのにそれだけかかると言う遅さでして(笑)
気が付いたら朝になってましたw
いや、言葉を選んで書いていたという 苦しい言い訳をしておきましょう(笑)

さてさて、JJさんのアドバイスも僕を楽にしてくれました。
ありがとう。

自分が大人になっていくと、ある時気付いてしまう時があるじゃないですか。
親が小さくなった。 とか
追い越してしまった。 とか
そういうのも感じる時もあるのですが、なんせ駐車場で知らないおっさんと喧嘩するようなやんちゃっぷりですからね。
弱ったなぁ とは思えない(笑)

もちろんPに何かあったら手助けなり介護なりするつもりです。
たった一人の父親ですからね。
今は奴隷のように一生働いて償えとは思ってません。
そうだなぁ、そう思わなくなっただけでも、時間が解決してきてくれてるのかな、ゆっくりだけど。

T珍と2人で許す許さないの話をした時に、一番の被害者で傷ついたT珍が許すと言ったのだから、それで終わりだと割り切れば良かったのかもしれません。
それに、うつ病が発症して一番ひどかった頃(修羅場から20年後)に、どれほど傷が深く今も消えずに性格やら考え方やらが変わってしまったと全てぶちまけた時、Pが心からの謝罪をしたと書きました。
その謝罪とは、土下座です。
こちらから、さぁさぁど~してくれんだよ みたいな事は一切言ってません。
今でも苦しんでいると伝えただけです。
Pは号泣しながら、額を床につけ、僕に敬語を使って謝罪しました。
親が子供にですよ。20代後半の若造に、そこまでした。
だから許したいんですよ。
許すべきです。
逆に僕が罪悪感を感じました。

執念深い性格じゃぁないと思ってますが、この件に関してだけは、なかなか気持ちの整理が付かなくてね。
恨みや怒りは無くなったのですが、どう接したら良いか分からないんですよね。

虐待されたわけじゃないし、子育てを放棄されたわけでもない、でもなんというか、愛情に飢えている自分を感じるのです。
世界一の家族は偽物の家族だったわけで、自分は愛されていたのだろうか?と考えるようになってね。
Pにとって僕はどういう存在なんだろうか?って考えてしまって。

なんだかごめんね、最近重い話ばかりで。
明るい闘病記も書きたいなぁ。

じゃぁ、寝ますね。
14時から30分だけ仕事にでます。
T珍が銀行に行きたいそうで、その間の助っ人です。
帰りにコンビニに寄っていいものか、すでに悩んでます。
痩せたい、食べたい。
どうしよう。
v( ̄ー ̄)v

マー坊、お疲れ様。
お店には行けましたか?

私は今日も寝たきりでさっき起きて
歯みがきして着替えました。
夕飯作れるかなぁ~…微妙(笑)

ウチの姉も一度子供を連れて実家に帰って来た事があったなぁ~
オバタを妊娠中か生まれて直ぐの時くらい。
ハルは2才か3才だったから覚えてないと思う
姉も離婚しようと思ったけど義兄がウチに話し合いに来た時に
ハルが父親を見て「おとうさ~ん」って掛けよって行った姿を見て
考えて直したそうです。

嫁と幼い子供、傷つきかたも違うし
考え方も違うよね…

ふと思ったんだけど、こうして私達に話してくれる事が出来たのは
マー坊の中での気持ちが少しづつ雪解けしてきてるんじゃ
ないかな?って思った。
多分一生の傷ではあるけれど
ママが許してると言った事、お父さんが土下座して謝罪された事
マー坊も歳を重ねて来た事など色んな事で
マー坊の気持ちにも変化があったのかもしれませんね
勿論、ココロの底から完全に許せる日は来ないと思う。
ココロの時効はないものね
また余計な事を言って家族を凍りつかせる日が来るかもしれない
そしたら過去のトラウマが甦るかもしれない。
でもこれからは「ウチのPがまたやらかしました」ってあぜ道に
書いて皆で怒ってやろうよ!
そうやってひとつひとつココロの荷を下ろして行こう。

J Jさんへ

その後具合はどうですか?
実家に戻ってらっしゃるんですね
それはそれで色々大変だけど
とりあえず一人じゃないほうがいいかもしれないね

お酒飲んでますか?
一人で飲むの?お店に行って飲むの?
私も最近甘味復活しちゃってます(>_<)
お酒はねきれいに止めれたのに。
でも夕飯の時はノンアルビール(特保)を
飲んでます。
私は何にもしてないけど一応毎晩「お疲れ様」って
ポーと乾杯します。
美味しい。ビールって言ってもいいくらい美味しい
これ飲むために喉乾いててもご飯前は何も飲みません。
私の脳は完全にビールと思とるね!
不思議にちょっと酔った気分になります。
酒豪のMちゃん!人生で2回しか酔っ払った記憶がない私ですが
ノンアルビールで気持ち良くなってます(笑)
J Jさんは焼酎派だっけ?
ノンアル責めてみるのも楽しいかもよ🎵

でも…

ほんまもんが飲みたぁ~い

Mちゃん、こんチワワ。
お店には本当に30分しかいないで帰ってきました。
洗い物を片づけて、鍋を洗って、それだけ
明日は(もうあだ名つけましょうね)、姪のヒータンが中学校の入学式。甥のタイタン(巨人でも、京都の煮物でもないw)は始業式だそうで、かずのすけ(姉)は休みなので、僕は一日仕事です。
明日にそなえて帰りなさいというので、遠慮なく帰ってきました。
ちょっと体調悪いからね。
今日はかずのすけがいるので、仕込みもあったけど、帰らせてもらいました。

さて、気持ちの雪解けですが、Mちゃんの指摘のとおりかもしれません。
どう接したら良いか分からないけど、すでに恨んではいなくなった事に自分も気付きました。
TV見て馬鹿笑いしてると、毎回じゃないけど、たま~に頭にくるけどね(根深いw)

あとかずのすけ(姉)があの修羅場の時どう思ったとか、その後はPをどう見ていたかとかいう話は、Pの葬式の時にでもならないと話せないかもしれない。
T珍(母)は一番歳が上で、女同士のかずのすけに、色々と話しているらしく、何回問題を起こしたかとか、何をされたか詳しく聞かせているっぽいのです。
呆れかえって見限ってるならまだいいのですが、僕のようにため込んでいたとしたら・・・と考えると怖くてこの話題には触れられません。

T珍が許している事が全てなのかもしれません。
もちろん子供も被害者ですが、被害者面し続けるのもかえって悪質な気もします。
T珍が一番傷ついているわけで、その本人が良いと言っているのだから、それでいいのでしょうね。

あとは愛情に飢えているという話ですが、心の渇きみたいな感覚があり、愛してほしい愛してほしいって思う事がたまにあります。
別に子供の頃に戻って撫でてほしいとか、抱きしめてほしいとかそういう事じゃないのですが、ただただ本当の温かい家族に憧れたりします。

あとは(まだあるんかいw)、僕が結婚していた期間は10年にも満たない短い物でしたが、子供は作れませんでした。
僕が父親になる覚悟が無かった怖かったのです。
父と同じ事をする事はありえませんが、本当の家庭ってどういうものだろう?とか、父親ってどういう物だろう?とか、愛情に飢えてる人間が与える側になれるのだろうか?とか 色々ですね。
怖かったのです、父親になるという事、子供を持つという事が。
そんなのみんな自信なんてなくて、親になってから学んでいく物築いていく物と思うでしょうが、なんせ、捨てようとするような半端は覚悟で子供を作るなって思って生きてきたわけで、どうしても子供が作れなかったのです。

あとは(これで最後にしますw)Pの失言ですが、近いうちにまたやらかすでしょうから、そしたらご報告します。
そして親の顔色を覗って、喧嘩にならないように意見を言わないと言うのもやめにします。
ハッキリとPを躾けます。
それでも治らないだろうけど。

どうせ同じ事を経験したのなら、そこから成長するなり学ぶなりしないとね。
お! ちょっと良い事言ったよまさ爺(笑)

JJさん、具合どお?
一緒に飲みたいねぇ~
まさ爺はビールひと缶で倒れちゃうので、おつまみをつまんでばかりだけど、、、

僕も今日は菓子パンを買ってきてしまい、一気食い。
現実逃避というよりは、ただ食べたかったからという、ダラダラした理由です(笑)

お酒は全く飲まないようにしています。
麦茶を大量に作り、湯銭消毒したペットボトルに入れて、冷蔵庫に入れてあります。

空腹になったら、麦茶、
甘味シャブが食べたくなったら、麦茶
恋のはじまりは、麦茶 であります。

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